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~第193回 ~「節分」

2月3日は「節分」。

「節分」とは「季節の分かれ目」を意味します。
旧暦(太陽太陰暦)の頃は立春、立夏、立秋、立冬の4つの前日を指しましたが、江戸時代以降は特に立春の前日を「節分」と呼ぶようになりました。
節分に行う豆まきなどの行事は、平安時代の宮中で行われていた「追儺(ついな)」が「鬼やらい」となり、そして民間に拡がりました。

古くは「続日本書紀」の中に疫鬼払いとしての記述があり、文武天皇の慶雲3年(706)には行われていたことがうかがえます。
元は神に扮した方相氏が疫鬼を追い払っていましたが、平安末期ごろには方相氏が鬼に見立てられるようになり、群臣らに追い出されるようになりました。
当時の平安貴族たちは災害除けなどのための読経もしていたようです。

節分と追儺は本来別々のものですが次第に合体し、南北朝時代になると病疫を追い払う追儺の風習が民間にも浸透していたようです。
室町時代の五山僧瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の日記『臥雲日件録』には公家や武家だけでなく広く民間の行事になっていた記述があります。
そして江戸時代には現代の形に近い、大衆の節分行事になっていきました。

武蔵一宮氷川神社では節分に「節分祭」を行います。
舞殿にて弓の弦を鳴らす「鳴弦の儀」の後、神職が丑寅の鬼門方向に撒豆を行い災厄を祓います。
午後には一般の特別年男・年女の方々が、豆やお菓子を投げる撒豆式が行われます。

節分は、先に書きました通り「季節の分かれ目」。
体調も悪化しやすい時期です。
だからこそ日本人はこの時期に無病息災を祈り、害をもたらす存在(鬼)を祓ってきたのです。
その日本人の心を現在、そして未来へと紡いでいきたいですね。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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