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近藤亜樹の絵のミラクルについて考えた「我が身をさいて、みた世界は」/一日一微発見496
水戸に行った。
水戸芸術館で始まる近藤亜樹展「我が身をさいて、みた世界は」の内覧会を見に行ったのである。オープニング パーティがあり、そこにも参加した。近藤さんに縁がある方々が集まっていて、何人かの方がスピーチをされた。とても愛情の感じられる話が多く、聞きいっていた。
ある方が、「近藤さんの展覧会を見ていると音楽を感じる」とおっしゃった。そこには、「今ここで生まれて生きているもの」、というニュアンスがあった。
うまいことを言うなあと思って頭の中に残っていた。そして、スピーチがひととおり終わり歓談の時間になった。知りあいと話すのも楽しいが、やはり絵をじっくり見たくなって、妻と会場をぬけ出して展覧会場にもどった。
閉館まぎわの、人気のすくない会場をゆっくり巡り、絵と対面した。
プラカードのように絵が自立して並んだ、森みたいな回廊を歩く。歩くにつれ、絵がいつもより接近し、去ってゆく。その快楽。サボテンと人。近藤さんの人の絵は、多くがクローズアップぎみに描かれているが、それは「トリミング」ではなく「接近」なのだと気づく。
彼女の絵は、絵が人をとらえる絵である。見ているうちにとらえられ、とりこにする。そんな絵が、どうやって生まれてくるかを、さらに追跡しようと絵をまた見ているうちにとらえられ、さらにとりこになる。
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