人生で一番感動した1分間 -H3ロケット打ち上げ見学記-
2024年2月17日。
小5の理科で「宇宙」について習ったときから
宇宙に魅了された足掛け35年の天体マニアは、
この日を一生忘れないでしょう。
天候不良による順延などで日程が合わず
泣く泣く断念したものも含めると、
実に 4度目の正直 で種子島にたどり着いた我ら(私&息子)。
2024年2月17日 9時22分55秒、
H3ロケット2号機の打ち上げを、種子島で見届けることができました。
ロケットの打ち上げを見たくて執念を燃やした、そんな旅の記録です。
H3ロケットの行方を見つめ続けた日々
実は、当初2023年2月12日に予定されていた
H3ロケット1号機の打ち上げでは、見学ツアーに申し込んでいたのだ。
しかし、天候の関係で打ち上げは2月13日に延期になり、
さらには風の関係で「最短で15日」に延期となった。
雇われの身に過ぎない私が、
直前でコロコロと休暇を変えられるわけもなく。
この時点で我が家は脱落。ツアーのキャンセルを申し出た。
ツアーをキャンセルしたことを息子に伝えたところ、
H3ロケットを心の底から楽しみにしていた息子は、泣いて悔しがった。
いえ私だって悔しいですよ。もちろん悔しいですよ。
でも仕方ないじゃないか。だってサラリーマンなんだから。
そう伝えても息子は泣き止まない。
泣き止まない息子に、苦し紛れに私はこう告げた。
私「じゃあさ!来年!来年絶対リベンジしようよ!
2024年中に、種子島でロケットの打ち上げ見に行こう よ!」
子「・・・そんな、簡単に言うけどさ、
見に行けなかったらどうしてくれるの!!」
私「そしたら、
小学校卒業するまでに、アメリカに打ち上げ見に行こう よ!」
幸か不幸か、この一言で息子の「やり場のない怒り」はだいぶ収束した。
でもこの時点では、私はまだ知らなかったのだ。
その「2024年」に、まさか台湾にいることになろうとは。
2号機へ託された使命
H3ロケットの1号機の打ち上げは、
その後、2023年2月17日に決定したものの、
機体制御コントローラの誤動作により、直前に中止となる。
誤動作の対策を経て打ち上げ日が3月6日に再設定され、
天候による1日延期を経て3月7日に打ち上げが行われたものの
打ち上げ後に指令破壊信号が送出され、打ち上げは失敗に終わる。
奇しくも、2024年に打ち上げられる予定となった「2号機」が
今後の日本の宇宙開発を左右するもの となり、
そして、
「母は約束を守れるのか」が試されるもの になってしまった。
試される大地、いやむしろ、試される私。
種子島は「某・往年の名曲状態」だった
「テレビも無え ラジオも無え
車もそれほど走って無え」と
自虐的に故郷をうたい上げたのは
吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』だが、
ロケット打ち上げを控えた種子島はまさに
「宿も無え バスも無え
車も全く空いちゃぁ無え」
だった。
2023年12月28日に打ち上げが発表されるや否や
すぐに宿と交通手段を手配しようとしたんですが、
レンタカーもタクシーも全滅でした。
そりゃそうよね。ロケット関係者の方々や
往年の天体ファンの皆さんが、こぞってあの島に押し寄せるんだもの。
本当は打ち上げ見学会場まで行きたかったのだけど
いかんせん宿泊先も交通手段もないので、
打ち上げ当日、
・鹿児島→(船)→種子島 というルートで種子島への上陸を目指す
・ロケット見学後は、 種子島→(船)→屋久島→(飛行機)→鹿児島 というルートで鹿児島を目指す
・種子島では、ロケット打ち上げ見学会場ではなく、 港から見学 する
という方法を採ることにしました。
そして迎えた当日
鹿児島から種子島への高速船到着は、9:05。
打ち上げが行われるのが、9:22。
高速船の到着が5分ほど遅れたのと、
稀代の方向音痴 であるという自覚と自負から
「間に合うのか?ちゃんと正しい方角を向いて見学できるのか?!」
とやきもきしたけど
幸いにして港には同じ目論見の同志たちが何人かいたので
同志たちに盲目的について行った結果、
ちゃんと視界が開けた場所で、正しい方角を向いて見学することができました。
ありがとう同志たち。
港では、各々の携帯から、
JAXAのライブ配信のカウントダウン音声が流れる。
刻一刻と進むカウントダウンに、一同、固唾を飲んで聞き入る。
そしてライブ配信のカウントダウンが
「0」を言い終わるか終わらないかのタイミングで
山の上に、白い煙が見えた。
「あれだ!!」と色めき立つ、港の同志たち。
ロケットが、オレンジ色の炎を噴きながら
ぐんぐん上昇していくさまが、
肉眼でもはっきり確認できる。
ロケットが天高く上ったときには、
時間差でこちらに届いたゴォォという発射音も聞こえてまいりました。
弧を描いて上空に消えていくまで、時間にして1分ほどでしょうか。
間違いなく、人生で最も感動した1分間だったと思います。
ロケットの軌道は
ロケット雲として視認可能。
このロケット雲の形は徐々に崩れて
5分ほどすると、螺旋階段みたいになります。
港にいた同志たち(福岡から来た学生さんたち)が
息子とのツーショット写真を撮ってくれて
とても良い記念になりました。
惜しむらくは、私が撮影してあげた彼らの写真は
おそらく、あまり良い出来栄えではなかったこと。
昔、観光地で、通りすがりのおじちゃん/おばちゃんたちに
写真を撮ってもらったときに
おじちゃん/おばちゃんの撮影技術がいまいちで
「おおぅ・・・」とがっかりしたことがあったのだけど
そうか、私もいよいよ「そっち側の人間」になってしまったのか。
ロケット見学に来たはずが、
奇しくも自らの衰えを直視する機会になりました。
ごめんよ学生さんたち・・・!
ともあれ、H3ロケットの打ち上げが成功して本当に良かった。
「H3ロケットの初の打ち上げ成功」という
歴史的な瞬間に立ち会えて、本当に良かった。
2024年2月17日。
足掛け35年の天体マニアは、
この日、種子島にいられたことを
末代まで語り継いでいこうと思います。
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