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噂話の多い人間関係は手放したほうがいい

いちミニマリストとして、noteでも取り扱われている「人間関係の断捨離」について書いてみようと思います。自分が以前目にした「噂話」のことも交えてみます。


*   *   *


噂話をすることには、いろんな動機があるかと思います。

おしゃべり好きな主婦同士が世間話としてやっているだけのこともあれば、ほかに話題がなく、沈黙の埋め合わせのためにその話をしているだけのこともある。

ときには、特定の人の情報を仲のいい者同士で共有することで互いの結束感を強め、間接的に相手の優位に立つための手段として使われることも。

どんな動機であれ、噂話のいちばん怖いところは

「その意図や本心がわからないゆえに、疑問が晴れないこと」

だと思います。

むかし、噂話の多い環境で何年か働いていました。

仕事でミスしたら、それを目撃した人が自分のいないときに他の誰かに報告している。自分がとくに問題ないと思っておこなっていた行動について、不満や疑問をもたれていたのか、後日水面下で話し合いが行われている。

その話し合いをしていた事実が、数週間・数カ月のあいだ当事者である自分に共有されず、そのあいだ通常どおり笑顔で接している。そしてあるとき、仕事で議論しているときなどのふとしたタイミングで「そういえばこないだ・・」とその話を持ち出される。

そういうことがよくありました。

それは建設的な話し合いによる問題解決や和解のための手段というより、むしろ以前から心のなかで保有していた相手の情報を、時機を見計らって不意に提示して困惑や不安感を煽ることで、議論の主導権を取ったり自己の優位性をそれとなく示したりする意図が含まれているようにも個人的感想ながら感じられました。

もちろん噂話は、場所や地域によっては「通常のコミュニケーションの一環」として行われていることもあります。

たとえば人間関係のかぎられた小さな共同体では、人の行動やミスが話題になりやすいのは物理的に仕方ないこと。悪気など一切なく、たんに会話の流れで特定の人の話題が浮かぶのもよくあること。

かりに自分について話されているなと感じても、「そういう土地柄や文化だから」と受け流したほうがいい場面もあるでしょう。

ただ。
自分について話し合いが三回・四回と行われているなら。その情報が後日、不可解なタイミングで不意に自分の目の前に持ち出されて困惑することがあるなら。

「どんな意図でそれをやってるんだろう?」と疑問を感じるのが人間じゃないでしょうか。

人の本心は外からじゃ見えない。
だからこそ、疑問が晴れない。

そして一度そういう気持ちを持ってしまうと、相手との信頼関係に溝が生まれます。経験上思うのは、その溝を埋めるのは相当難しいということ。

噂話を何度もされるなら、それはたぶん友達とか、仕事仲間とか、そういうものとは別の何かだと思います。それ以降いくら長く関わっていても、いくら表面上は笑顔で接していても、その「見えない溝」はずっと両者のあいだに残り続けるかと。

だからこそ、その関係はすべて手放すのが賢明じゃないかな、と思います。

世の中には、たくさんの人がいるし、自分が本当に関わるべき魅力的な人たちがどこかに必ずいるはず。そういう人たちとの出会いや関わりにエネルギーを使ったほうが、よっぽど意義があるんじゃないでしょうか。



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いちきた
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