「見る」「書く」「読む」:進化と歴史の賜物
ゲームの勝利に喜びを爆発させたときの表情。
家族の無事を確認できたときの安堵の表情。
思い通りにならなかったときの悔しさに満ちた表情。
どのような場面であれ、われわれは、顔の表情からさまざまな情報を読み取り、感じたことに応じて、いろいろなアクションを起こします。心を揺さぶられたり、ともに涙を流したり、喜びを分かちあったりするわけです。
動物なら、表情があるのは当たり前と思われるかもしれません。
しかし、動物のなかで「豊かな表情」をつくれるのは、「ヒト」と「進化したサルの仲間(真猿類)」に限られています。豊かな表情は、それを読み取る「高い視力」があって初めて意味を持ちます。原始的な猿(原猿類)の視力では、仲間の表情を読み取ることができなかったのです。
豊かな表情が可能になるのは、顔の皮膚の脂肪の下に「表情筋」と呼ばれる複雑な筋肉があるからです。そのおかげで、相手の感情を推し量る術(すべ)を持ち、円滑なコミュ二ケーションが実現されているわけです。
では、豊かな表情を認識できる「高い視力」はどのようにしてつくられていったのでしょうか?
この記事ではまず、われわれが有している「豊かな表情を読み取れる高い視力(見るチカラ)」を構成する四つの要素について解説します。主にNHK「地球大進化」プロジェクト編『NHKスペシャル 地球大進化』第5巻などを参考にして、それらの要素が進化のたまものであることを確認していきます。
次に、歴史の中で培われた「書くチカラ」(文字の出現)、さらには「読むチカラ」(活版印刷の発明)についても紹介していきたいと思います。
見る=高い視力を作り上げた進化の内実
1)「見るチカラ」を構成する一つ目の要素は、顔の正面に目が二つ並ぶことによって、対象を「立体視」できるようになったことです。二つの目が正面に並ぶと、それぞれの目の視界が重なり、物を立体的に見ることができます。
そのチカラは、サルが樹上生活に適応するために進化したもの。樹上空間を生活圏にするには、木や枝の間を自由に移動する必要があります。その際、目で隣の木・枝までの距離を正確に測らなければなりません。立体視ができるようになった理由は、そのためだと考えられています。
2)見るチカラを構成する二つ目の要素は、色の識別(色覚)。端的に言えば、フルカラーで物をとらえるチカラです。それができるのは、哺乳類のなかでも、ヒトやサルの仲間だけ。イヌもネコもウシも、咲き誇る花々の色の鮮やかさを見ることができません。
仮にあなたがイヌかネコといったペットと一緒に過ごしているとしても、目の前に広がる世界は、あなたとペットの間では、まったく異なったカラーに彩られています。
なぜでしょうか?
それは、ほとんどの哺乳類には、赤・青・緑という「光の三原色」のうち、青と緑の二種類の色に反応する細胞しかそなわっていないためです。そのため、緑の葉に覆われた視界の中から赤い色の果実を見分けることができませんでした。
それに対して、三原色に反応する色細胞を有したヒトの場合、なんと700万もの色を識別できるチカラがあるのです。
3)見るチカラを構成する三つ目の要素は、真猿類にあっては、光を感知する「視細胞が集中する網膜のくぼみ」がつくられていること。その結果、視細胞の密度が高くなることで、物を「はっきりと見る」ことができるのです。その点、視細胞が網膜全体に分散している原猿類とは大きく異なっているのです。
4)見るチカラを構成する四つ目の要素は、目の揺れを防いでくれる「眼窩(がんか)後壁」(眼球を収める頭蓋骨のくぼみである「眼窩」の後ろにある壁のように働く骨)の存在です。それがないと、食べ物をかんだりするとき、目が動き、視線がぶれてしまいます。それがあるおかげで、はっきりと、また安定的にものを見ることができるわけです。
立体視、色覚、密になっている視細胞、眼窩後壁といった四つの要素・特徴はすべて、ヒトに継承されていきました。それらの要素を合わせ持つことができるようになったため、はっきりとものを見る高い視力が実現できたと言えるわけです。
表情によるコミュニケーションは、相手に複雑な情報を伝えたり、理解したり、お互いの絆を深めたりといった効用を発揮していくことになります。
書く=文字の発明がもたらしたこと!
人類の歴史の99.9%は、狩猟採集時代でした。一か所に定住することなく、遊動生活をしながら、自然にある食べ物を採集したり、狩猟を行ったりすることで生活していたのです。
人類が定住生活を開始し、農耕を行うようになったのは、1万年ぐらい前のこと。栄養価が高く、貯蔵性と生産性に優れた穀物を手に入れた人類は、集落をつくるようになります。
農業が本格化すると、余剰生産物が生じることに。食糧の生産に携わらない人を養える余裕も生まれます。近隣の集団との間で物々交換が行われるようになりました。
かつての狩猟採集の暮らしは、いわばその日暮らし。農業が始まると、「将来を考えること」が必要になります。春に種をまいても、収穫は秋になるからです。その間、前回の収穫時に確保した食糧に依存することになります。翌年のために種となる食糧の一部を保存しておくことも考えなければなりません。
そのため、食糧を管理する人が必要になったのです。ほかにも、宗教儀式を司る神官、軍人、商人、装飾品をつくる職人など、いわゆる専門職につく人があらわれます。
職業の多様化の始まりです。農業社会で本格化したこの職業の分化は、その後の経済発展とともに、より一層進んでいくこととなります。
幾つもの集落が統合され、都市が出現し、「文明社会」が形成されていきます。と同時に、宗教的・政治的・軍事的権力を掌握する特権階級・支配者が現れ、国家・王国が誕生します。
余剰生産物の貯蔵や再配分の必要性は、それを円滑に行うための記録の手段として「文字」を生みだします。単に音声としてやりとりされていた言葉が、文字で表現されるようになったのです。
人類の行動や生活ぶりが初めて「固定された記憶」として残されるようになったのです。コミュニケーションの必要性が増し、その手段としての言語の発達につながっていきます。
もっとも、文字が発明されたからといっても、文字を読んだり、書いたりできる者は、ごく少数の神官や僧侶などにすぎませんでした。一般の人々は、まだまだ文字などとは無縁だったのです。
太古の時代とほぼ同様に、生きていくための情報の伝達は、基本的には音声でのやり取り(口承)で十分間に合わせることができたからです。農業社会にあっては、ごく普通の人が字を書いたり、読んだりする必要性はなかったからでもあります。
中世では、国王でさえ、読み書きはしませんでした。ヨーロッパで絶大な権力をふるったカール大帝(シャルルマーニュ:742~814年)ですら、字を書くことができなかったのです。
ところが12世紀前後、ヨーロッパで中世都市が生まれ、商工業が発達するようになると、識字力と読み書きのできる人間に対する需要が高まりました。
裕福な市民は、子どもたちに教師を雇って読み書き計算を学ばせました。ギルド(同職者組合)のもと、親方の下で徒弟として働くためにも、読み書き計算の初歩を学ぶ機会が増加。さらに、ヨーロッパ各地で、「大学」が生まれると、文字の使用はより進むこととなります。
それでも、初等教育が一般化するまで、大多数の人にとっては、文字の活用は、依然として夢物語だったのです。
イタリアの経済史家のチポッラは言います。「収入記帳の便法を必要とした寺院の記録係や、商業取引に盛んにたずさわった人たちによって、文字を書く技量は進歩したとはいえ、数千年もの間、読み書きの技能は少数のエリートに独占されたまま侵されなかった」と。
あなたは、いまごく日常的な生活の一部として、「書く」行為を行っています。なかには、うまく書けないことで、嫌になったり、疲れたり、自分自身に不満を持ったりする人もいることでしょう。
でも、ごく一部の人しか書くことができなかったという時代を想像してみてください。歴史と言うフィルターを通して、いまの時代を見てください。ひょっとしたら、「書けることの幸せ」を感じられるかもしれません。
読む=活版印刷のインパクト
「読む」ことが社会で大きく普及する契機となった出来事。それは、15世紀中葉にドイツ人のヨハンネス・グーテンベルク(1400年頃~1468 年)が考案した活版印刷でした。
その効力は、非常に大きいものでした。それまでは主に音声のやり取りによって伝達されてきた情報に、「紙に印刷された言葉」が付け加えられたからです。
彼が最初に刷ったのは、『四十二行聖書』といわれるバイブル。それまでの聖書は、もっぱら筆写生の筆写による複製でした。聖書もその教えも、そうした複製技術を独占してきた教会や聖職者によって独占され、とても高価だったのです。
ところが、金属活字の組み合わせによる活版印刷がスタートすると、聖書は広く普及。教会のあり方を批判する宗教改革の引き金にもなります。
グーテンベルクが印刷して販売したのは、聖書、祈祷書、暦、ラテン語文法書、免罪符など。実用的な性格の強いものでした。その後は、多様な目的で、書物・本が印刷されるようになっていきます。
活字による印刷の普及で、より多くの人々が文字の恩恵に浴するようになります。印刷のコストが引き下げられると、多数の人々にとって読み物が身近なものに。書物や印刷物を通して、時空を越えた知識の急速な普及も可能になっていくのです。
自分が直接経験していないことでも、印刷された媒体を通して、他の人にも共有されることができるようになっていきます。
長きにわたって、字を書いたり読んだりできる者は、きわめて限定されたエリートでした。活版印刷は、ごく普通の人々でも読み書きができるという現象を大きく促す契機となったのです。
読み書きするチカラを鍛えた初等教育
農業社会では、農民たちにとって、読み書きは、特に必要なものではありませんでした。ところが、産業革命によって、企業社会が形成されると、読み書きの力もまた、「生きていくために必要な力」の重要な一環を占めるようになります。
ごく普通の人々が読み書きできるようになるのに大きな役割を果たしたものとして、初等教育、出版物、そして新聞の普及が挙げられますが、なかでも決定的な役割を果たしたのは、初等教育でした。
近代社会が成立する以前にも、もちろん学校は存在しました。が、学校で学べたのは、ごく一部のエリート層の子供に限られていました。
イギリスで最初の産業革命がおこると、状況は徐々に変わっていきました。それでも、1850年前後の各国の成人文盲率は、アメリカで約10%、プロイセンで約20%、フランスで約40~50%ぐらいでした。おおまかに言って、ヨーロッパ全体では、成人の45~50%は読むことができなかったのです。
それでも、19世紀後半になり、各国で産業革命が進展するようになりますと、読み書きのできる熟練労働者への需要が大いに高められました。
そこで、ヨーロッパ各国の政府は、ドイツ連邦とオーストリアの先例に習って、初等教育を無償で、しかも義務とする法律を通過させました。文盲は、国家の「恥」とさえ考えられるようになったのです。
このようにして初等教育とともに、読み書きできる人が増えていくと、次の教育上の課題は、高等教育の充実、つまり、より専門的な知識・技術・技能の修得というレベルに変わっていったのです。
ちなみに、日本は、江戸時代に幕府の学問所、藩校、民間の学習塾、寺子屋という四種類の教育組織がありました。庶民の「読み書き能力」も、非常に高かったのです。それが、のちの経済発展を支えたと考えられています。
この記事を読んでいる方のなかには、読んだり書いたりするのがあまり好きではない方もおられるかもしれません。
しかし、もしあなたが三、四百年前に生まれていたら、たとえば「本・雑誌・新聞、あるいは日記など、手軽に読んだり書いたりするものをまったく知らずに一生を終えていた」という可能性の高さを、頭の片隅にでもおいてみてはどうでしょうか!
【主な参考文献】
・池谷裕二『進化しすぎた脳』
・NHK「地球大進化」プロジェクト編『地球大進化』第5巻
・奥野卓司『情報人類学』
・香内三郎『活字文化の誕生』
・ジョルジュ・ジャン/矢島文夫訳『文字の歴史』
・田村紀雄『メディア事典』
・カルロM・チポラ/佐田玄治訳『読み書きの社会史』
・西垣 通『IT革命 ネット社会のゆくえ』
・ジョン・ブロックマン編/高橋健次訳『2000年間で最大の発明は何か』
・クライブ・ポンティング/石 弘之、京都大学環境史研究会訳『緑の世界
史』上下巻
・吉川元忠『情報エコノミー』