愛ってなんだ。心理カウンセリングとわたし。
久しぶりの友人と節分の話をした。
わたしたちは季節と共に生きている。
節目節目にふしぎとなにかが決まったり、決断をしたりする。
彼女は今年の節分に大きな変化があったのだ。
祝杯をあげつつ、自分の節目もあったなぁなどと思いを巡らす。
何年か前の春分。
わたしはあらゆる区切りをつけようとしていた。
部屋を掃除し花を飾りお風呂に入って入念に頭皮を洗い、東につむじを向けて床についた。
「木星の破壊と創造のパワーが春分で最高潮に高まっている!つむじからそれを吸収する!」
とかなんとか、そんなおまじないみたいなことを心底信じて実行したのだった。
今思えば笑ってしまうようなことだけれど、真剣だった。なんらかのきっかけを欲していた。
わたしは変わりたかった。
当時のわたしは離婚して自由になったは良いが、おそらくプレッシャーがあったのだろう、何をしても楽しくなかった。
楽しいことを探さなければと必死にあれやこれやと手を出してはいろんな人に会い、いろんな場所に出向き、違和感を覚えてはさっ次!などとばたばたあがいては失望するを繰り返していた。
あのときのわたしが欲していたモノは今ならわかる。
自分への信頼。
わたしはだいじょうぶだ。
そう思える力が欲しかったのだ。
こどもとの暮らしをたのしんでも、仕事に打ち込んでも、バンドに打ち込んでも何かを言ってくる奴は必ず現れる。
お節介教師ちゃんやママ友ちゃん、クソ客ちゃんやクソ店ちゃん、あいつはシンガーやなくてネタ師やと陰口を叩くよそのバンドのボーカルちゃん。
当時のわたしはヤツらを屈服させたかった。
強くなればヤツらは沈黙するのだと思っていた。
遅くなる仕事でもご飯に手間暇をかけレンチンしてねとメモを置き、マッサージの本を買いあさりノートにまとめ実践し店の雑用は進んでやり、好きではないけど一般的にウケそうな曲を真面目に歌う。
他人の目ばかり気にして、何一つ自分のためには生きていなかった。
そして生きるのがイヤになった。
こどもがいるから生きてはいる。
わたしがいなくてもこの子たちは実の父である元旦那やそちらの祖父母が何不自由なく育ててくれる。
こんな人生に不安しか持たず、落ち着きなくいろんなところへ行き、あがくばっかりで人生の楽しみをみせてあげられないかあちゃんならいない方がマシなのかもしれない。
そう思いつつ実行はできなかった。
なぜなら、他ならぬわたし自身が母の死に苦しみ続けてきたからだ。
わたしは母を憎んでいた。
何をしても否定し、心底呆れ果てたという顔でヒステリックにわめき散らす母であった。
33回忌は数年前に済んだし、わたしも早めの孫がいてもおかしくないような年齢になったというのに、あの状態の母を思い出すととても怖い。
そして腹が立つのだ。
たとえどんな状態であろうとも、言ってはいけない言葉があるだろう。
母の早世は因果応報であったのだ。そうやって、負のエネルギーでもって、やっと生きていた。
母の葬式で小さなわたしは泣くことすらしなかった。
生きていかなきゃならん。
泣いて消耗してる場合ではない。なにより、わたしはかわいそうなおちびさんではない。
かわいそうね、えらいわね、うちのこなんて手伝いすらしないわよ。
そんな言葉をかけられるたびにわたしは最高の作り笑顔をしてこう言ってやりたい欲望にとらわれた。
「あなたがしねばやりますよ」
卒業式。
入学式。
進路相談。
成人式。
結婚。
出産。
子供の成長。
父は優しかったが頼りたくなかった。
ひとりでいた。
母なんて、あんな奴、生きてたらきっとわたしにまたひどいことを言うに決まってる。
どうせ喧嘩別れして家出をしたりしていただろう。
いなくてよかったのだ。
そう思うことで生きてきた。
母を憎むエネルギーで生きてきた。
子育てを親に手伝ってもらうママ友たちを横目で見ながら、「自立せえよ」と馬鹿にしていた。
世の全てを憎んでいた。
初めてカウンセリングを受けたのは、離婚への勇気をもらうためだった。
もっともっと強くなってバリバリ稼いでいかなきゃならない。
弱音を吐いている場合じゃない。
強靭なメンタルがほしい。
そこで得られたのは全く逆の概念だった。
弱音を吐いて泣いて助けてと言える人間の強さ。
人を信じることに必要なのは勇気であること。
一人でしんどい思いをして消耗する必要はない。
助けてって言っていい。
できないつらいしんどいって泣いていいのだ。
わたしはずーっと、母に叱られて拗ねていじけて押し入れに閉じこもった幼児のこころを、奥深いところに押し込めて隠し持って生きてきたのだと気づかせてもらった。
おかーさんのバーカ
勝手にしんじゃってバーカ
あたしを置いてしんじゃってバーカ
ひどいやろ
ひどすぎるやろ
どんだけあたしがさみしかったのか
どんだけ生きたおかあさんのいる世の人がうらやましかったか
わかるかー!
やっと泣くことができた。
どんな母でも好きなんだ。
どんな母でも居てくれたらそれで良かったんだ。
どれだけヒステリックで支離滅裂で心ない言葉を投げかける母でも、わたしは大好きだった。
挙げ句の果てにまだ小さいわたしを置いて勝手に死んでしまった母でも、わたしはずーっとずーっとずーっとずーっとずーっと
大好きだったんだ。
卒業式。
入学式。
進路相談。
成人式。
結婚。
出産。
子供の成長。
おかあさんにそばにいてほしかった。
周りのひとは手を差し伸べてくれていた。
頼れる大人は今思えばそりゃもうたくさんいた。
でも、わたしはおかあさんでなければイヤだった。
やさしいひとたちの差し伸べる手を振り払いなぎ倒し毒も炎もメガフレアをもを吐いて、わたしは孤独を選んだ。
おかあさんのいない人生に意味はないから。
他の誰かじゃイヤだったのよおかあさん。
あたし、アンタが良かったのよ。
アンタにいてほしかったわ。
そんなだから、どれだけ愛してくれる人がいてもわたしは拒否していた。
何かが違う。
愛されていると感じられない。
なぜだろう。
愛されるってどういうことなんだろう。
こどもからの愛ですら、多分わたしは本当の意味では受け取ることができていなかった。
当時のわたしは母からの、母だけの愛が全てだったのだと思う。
じゃー母の愛ってなんだった?
作る作る詐欺
連れてく連れてく詐欺
できないことへのそれはそれは恐ろしい叱咤激励
苦手なことへの恐怖に満ちた叱咤激励
得意なことをつぶしてそのエネルギーを嫌いなものへの克服に向かわせる将来の我が子への心配という名の余計なお世話
目立ったり表彰されたりしたら調子に乗らないように苦い顔をしながらふだんのわたしの調子に乗りやすい性質を叱り飛ばす
その一方で
たくさんの本を与えてくれる
絵本や児童書の全集を何揃えも
絵が美しければ同じ内容でも違う画家の本を買ってくれる
こどもの料理本に犬の飼い方の本
お箸の使い方やテーブルマナーの本
あずきを箸でつまんでお茶碗に入れるだとか
バナナをナイフとフォークで食べるだとか
ラジオからカセットテープに録音したジャズのクリスマスソングを1年じゅう一緒にうたうこと
サウンドオブミュージックのサウンドトラックを聴きながらこたつでぬくぬくすること
書いていて改めて感じられる。
母の愛でわたしは作られている。
だからこどもを産んだのかもしれない。
こどもたちに同じことをした。
あのときわたしは思考ではなく感情でこどもとくらしていた。
自分の作った巣の中で、安全に暮らしていた。
だがこどもは成長する。社会と関わることも増えた。
いつの間にかわたしはまた感情を押し込めて、相手の望むことをやるだけのマシーンになっていた。
わたしはあなたが喜ぶのが嬉しい。わたしはなにも欲しくない。なにが食べたい?行きたい場所はない?なんだってするよ。それが愛だと思っていた。
わたしのこころが動いていないことを、こどもたちは敏感に察する。いつしかこどもは母が幸せそうでないことでふさぎ込むようになった。
いつでも前向きにポジティブに。そんなマシーンでいても幸せになれないのだと脱却を決めたのが何年か前の春分。
いろんな本やブログを読み、いろんなカウンセラーさんと話をした。いろんな人と会い、人の幸せの種類は星の数ほどあると知った。
カウンセラーって最高のお仕事だなぁ、わたしにはできないけど。
そうごまかしてきたけれど、やりたいかもしれない。よくわからないけど、実践が自分のこころを見つめることになるのならばやりたい。できなくて当たり前だよね、やったことないんだもの。
じゃ、やってみたらいいんじゃない。
幾多のカウンセラーさんに叩き込んでもらった今のわたしは以下のような作品である。
相手が望んでないことをしても、なんにもしなくても、嬉しいことをしてくれても、なんだっていい、関わっていたい。あなたのことが好きで好きでたまらない。
わたしはこの感情を知っている。
母に。
そして、娘と息子がお腹にやどったときから彼らにずっと感じているもの。
母や娘や息子が何かをしてくれるからではない。
なにものにも揺らがないし理由なんてない。
損得なんてかけらもないし説明なんてできるものか。
愛しているってそういうことなんだよね。
閉じ込めていた小さいわたしは、悔しさと寂しさと孤独感と未来への不安とたくさんの涙を抱え持ったまま途方に暮れていた。
何より辛かったのは、愛する対象を失ってこころに空いた大きな大きな穴。
あれはでかかったわー。
さあみんな、愛し合おうぜ。
お読みくださったあなたにも、つながる愛を。
ありがとうございました。
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