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読了:「私が愛した池田大作」

こんにちは、野嶋一花です。

今日は、とても興味深い書籍に出会ったのでその感想を。


以下はあくまで個人的見解であり、特定の個人や団体を批判・攻撃する意図は一切ないことを念のため、申し添えておきます。




Twitterを眺めていたら、たまたま見かけたこちらの書籍。

私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年 単行本 – 2009/12/22 矢野 絢也 (著)
※いろいろ探しましたが現在では絶版になっている模様。中古でどうにか入手しました。


先に感想を言うなら、面白かった、の一言です。


序章に


「ここに明かすのは盲目的な崇拝でも、批判のための罵詈雑言でもない。
何十年にわたって側に仕え、私が敬愛した池田氏の『生』の人物像である。」

私が愛した池田大作


と、ありますが、まったくもってこのとおりの内容です。


矢野氏の言う「池田氏の『生』の人物像」が詳らかになるにつれ、創価学会の中枢で長年、著者自身も深く関与してきた様々な事件や今現在にも通じる(と、わたしは思う)問題などが赤裸々になってゆきます。



陳腐な表現ですが、ほんとうに、ドラマを見ているようでした。
原作:松本清張って感じw
リアルで、愛憎と果てない欲望入り乱れる、ものすごい人間臭い群像劇のような……。



創価学会を外から見ている人たちだけでなく、組織の中にいる人たちでさえも、一度は抱いたかもしれない、宗教法人としての創価学会や公明党に対するいろいろな疑問への、ひとつの答えがここにあると感じました。


矢野氏の語り口が、少々時代を感じる言い回しではあっても淡々と簡潔で、非常にわかりやすく、時系列があちこちに飛ぶことも少ない(とても聡明な方なのだなと感じる)ことから、するすると読めます。


そしてそこには私怨などまったく介入していません。

どちらかというと、今でも氏の中にある池田氏への敬愛・感謝の念や、組織にあって翻弄され、自分自身もまた池田氏を守る決意と倫理観の狭間で揺れ動き、周りを翻弄した事実を記した回顧録、という印象の強い本。


ところどころ、ほんとにそんなこと言ったの? あったの? ということもありますが、事実は小説より奇なりとも言いますので、真偽のほどはわかりません。





矢野、という名前がすご~く遠い記憶の中にあるような気がしていたのですが、本を読むにつれ「あ! あの一時期ボロカスに言われてた人!」と思い出しました。



この矢野絢也氏、わたしがまだ小さなときに参加した本部幹部会の中で「極悪人」として名前が挙がることが多かったのです。

昔こんなに悪い奴がいた!
学会への恩を忘れ私利私欲に走った!
こういう忘恩の輩には厳然とした仏罰が当たる!

などなど、これだけでなく子どもにはなかなかパンチの効いた罵詈雑言が飛び交っていたのをよく覚えています(創価学会では「敵」認定された人を非常に強い言葉で批判することがままあります)。


親はもちろん、周りの大人もこの話になると怒りをあらわにして異口同音に彼の悪行とされるエピソードを熱く語っていました。


そんな状況でしたので、単純に「この矢野って人は悪い人なんだな」と信じていたのですが……(矢野氏以外にも本に出てくる方々で、学会に盛大にこき下ろされていた人たちの名前が多数出てきます)。




本を読んだら、まったくその印象とはかけ離れた人物像がうかがえます。


もちろん、この書籍に書かれていることがすべて1ミリの間違いもない! とかそういうことを言うつもりはないですが、少なくとも、昔イメージしていた「極悪人」の要素は、ほとんど感じませんでした。



なお、この矢野絢也氏、少し検索したら齢90(!)ながらお元気なようで、お写真見たら見覚えもありました。

現在は政治評論家でいらっしゃるようです。




計らずも、学会員にしてみればどう考えても相容れない方の著作を今回読んだことで、改めて妄信、思い込みの怖さを実感した次第です。



事実をどう解釈するかで、ここまで変わるかと。



創価学会が悪いとか、矢野氏が悪いとかではなく、やはり事実を前にしてどう判断するかは受け取る側の主観に大きく左右されることを、忘れてはいけないなと思いました。




だからこそ客観視は非常に重要だし、ちまたにあふれる玉石混交の情報の中でどれだけ正確なものを選べるか、ということもほんとうにだいじですね。




その点で、この書籍は人が人に(または組織に)魅せられ、心酔してゆく過程やそれによる思考の変化が、ほかでもない心酔した当の本人が非常にわかりやすく書いている部分が特に興味深く、非常に貴重な記録だと思います。



タイミングとして、宗教全般から距離を置くと決め、時間がある程度経過してからこちらの本に出会ったのはちょうど良かったように感じました。



ガッツリ信心にハマッていた時期にもし読んでしまっていたら……ちょっと想像するのが怖いです。




とても興味深く拝読しました。



かなり古い本という以前に、内容的に増刷には至らなかった(阻まれた?)のかなぁなんてこともほんのり邪推しつつ。





さて、早いものでnoteで自分的一世一代の勇気を振り絞った自己開示をしてから1年以上が経過しました。


お経を読むことはもちろん、ほとんどの活動から離れて2年半以上経ちます。


が、相変わらず心穏やかに過ごし、怖いことはな~んにも起きていません。

ついでに言うと、コロナ禍でほとんど在宅なので早起きからの運動も心地よく、人生で今が一番心身ともに健康です。




Twitterで、宗教2世3世の皆さまと少しずつ繋がりを拡げてゆくなかで、最初にnoteを書いたときよりもさらに客観的視点を養えるようになりました。


フォローさせていただいている皆さま、フォローくださっている皆さまにこの場を借りて御礼を申し上げます。

いつもありがとうございます^^


これからも、自分の人生は自分で決めてゆく、ということを大きな柱に、いろいろな方の意見にも触れながら日々、学んでゆきたいと思います。

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野嶋 一花
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