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助けてと言いたい

こんばんは

ドラマのコウノドリを改めて観た。やっぱり、私のモチベーションはあのドラマに詰まっていて、原点はあのドラマの第1話だ、と思わされた。出番は少ないけれど、前に観たときよりも、ソーシャルワークに関する用語や障害に関する用語が分かるようになっていて、自分のこれまでの勉強の成果を少しでも感じられたのが、嬉しかった。

ドラマを観たことで、自分がいま生きていることについて、考えさせられた。母がお腹を痛めて産んでくれた私という命。当時はワンオペだったと聞いているし、簡単に、死にたいなんて思っても、言っても、いけないのかもしれないと思わされた。

それと同時に、父から受けた数々の暴力、暴言、脅迫のことも、思い返してしまった。家を出るか、今ここで死ぬかを選べと脅されたこと。頬にビンタされて鼓膜が破れたこと。お腹に醤油瓶を投げられて、痣が痛いまま出た体育祭のこと。顔面に飛んできたお茶碗とそのお米の熱さ。土下座させられて上から踏みつけられて痛かった手のこと。バカと何回も罵られたこと。死んでしまえと言われたこと。自室の壁にあいた穴。母が止めても聞かずに、私を殴るために階段をのぼってくるあの足音。忘れようとしたって忘れられない数々の鉛のように重く、呪いのように苦しめてくる記憶たち。私は本当に、望まれて生まれてきたのだろうか、と思ってしまった。そこから、涙が止まらないまま1日が過ぎようとしている。

苦しい。すごく。だれでもいいから助けて欲しい。私は、どうしてこんな苦しい記憶を持たなきゃいけなかったのだろう。思い返さなきゃいいだけなのは、重々分かっている。ふとしたときに何かのきっかけで、思い返してしまう私が悪い。

当時の私は、頭も容量も態度も悪かった。だから人をイライラさせたし、その結果が数々の呪いと傷を生んだのだと思う。ぜんぶ私が悪かった。あれは躾だった。そう思い込んできたし、そうだと思わないといけないと思ってきた。でも、果たして本当にそうなのだろうか。児童福祉を学ぶ中で、躾と虐待はまったく別だと思うようになったし、どんなに腹が立ったって、自分の子どもの鼓膜を、親自らが破っていいわけなんてないと思うようになってしまった。気づかされてしまった。

高校生になって鼓膜を破られて以来、パタリと暴力はなくなった。本人は手加減していたとか色々とほざいているけれど、私は本当に、あれを躾だったと思っていいのだろうか。今は、父の助けなしでは生活が成り立たないと思っている。でも、絶対に早いうちに、本当の意味での自立をしなくてはいけないと思う。それは、きっと私という存在を、あの家族から切り離すために、呪いから解き放つために、最も必要なことだと直感的に思う。

私の周りにも、虐待を受けて育ったと声高らかに、まるで自慢かのように語る人が何人かいる。すごいな、と思う。私は到底、そんなことしようなんて思えないくらい、当時のことを口に出そうとすると苦しくなるのに。いま、現在進行形で暴力がなければ、過去は過去だと流せれば、私の苦しさも怖さもなくなるのかな。彼女たちのように自慢できたら、ふとしたときに聞こえる父の暴言も、なくなるのかな。私がおかしいのかな。

私が双極性障害に至った理由は、きっと、受験期の出来事だけじゃないと、最近は密かに思っている。母が私を想像以上に大切に想ってくれていることは、最近の言動から伝わってくる。でも、父はきっと、私を望んではいなかったのだろうな、と思うことがある。可愛いと感じてくれているのかもしれないけれど、だとしても、あの頃のことを許していいとは思えないし、許されていいわけがないと思いたい。あれは虐待だった。誰かそう言って欲しい。そして、今の私のこのやり場のない苦しさから救い出して欲しい。いま、大学にまで行かせてもらっているのだからいいじゃないか、とか、いま、恵まれているのだからいいじゃないか、では済まないと、誰かにわかってもらいたい。受け止めてもらいたい。

このnoteを書いている今も、凄く苦しい。そして怖い。もう暴力はないとわかっていても、怖さが消えない。あの足音、声、痛み。最近、よく思い出されるようになって、夢に見るようにもなった。何かが起きる前兆のように思えて、凄く嫌だ。

本当はこんな暗い話、ましてや家庭の話を書くべきではないのかもしれない。でも、もう耐えられない。許して。

誰かにそっと寄り添って欲しい。このままだと私、もっと壊れてしまうのかもしれない。

怖い。

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