頑張れないなら価値がない

頑張るって決めた検定たち。勉強なら、限界はそんなに近くないと思っていた。私なら、不安を抱えていても最後はちゃんと全部、合格できるって思っていた。自分を、信じていた。

こんなちょっとした検定ですら、双極性障害や鬱を盾にやめてしまうほど、自分が弱いとは思っていなかった。みんなが頑張っている。みんなが真面目に向き合ってる。なのに私は、どうして実家に逃げ帰ってきて、1日を寝て過ごしているの?自分の無力さを、痛感せずにはいられない。社会に存在する価値も、大学で学んでいる意味も、頑張ってきた理由も、すべて見失いそうで、もう本当にダメなのかもしれないなって思える。

私より辛い人はたくさんいて、私より頑張っている人もたくさんいる。双極性障害や鬱にも負けずに働いている人、勉強している人、努力している人もきっとたくさんいる。どうして自分は、そうなれないのか。いつまで甘えているんだろうって、そればっかり考えてしまう。私がもしクライエントだったとしたら、こんな甘ったれな医療ソーシャルワーカーには、お世話になりたくないと思うはずだ。自分が誰よりも弱いくせに、他人に寄り添いたいなんて思う方が、間違っていたのかもしれない。ただの憧れだけで進んできた弊害だ。何も現実なんか見れてなかったのだろうな。

秋学期があと半月くらいで始まって、実習もあと1ヶ月とちょっとくらいで始まるけれど、こんな状態で乗り越えられるはずない。自己管理もできないまま、壊れていくのが目に見えていて。夢なんて捨てて、高いどこかから飛び立ってしまおうかと思案する。そう言って今まで1回も、死ねなかったけれど。誰かに迷惑をかける前に、飛び立った方が、生きているよりは価値があるのかもしれない。実家にいても、何もできない自分の惨めさを痛感するだけなら、それがいいのかもしれない。

もしも違う世界線があるのなら、鬱も双極性障害も何もかも無縁な人生を歩みたい。毎日毎日、何かに悩んで悲しんで苦しんで。そんな人生じゃなくて、ただ毎日を笑って過ごしていたかった。まるでドラマの世界のように、ヒロインみたいになれたらよかった。たとえそうなれないといしても、毎日平穏な心で波風立たない毎日を過ごしたかった。今の私は、自分でも抑えられない普通じゃない心を必死にコントロールしようと頑張っては失敗する毎日に疲弊しきっている。薬も通院も何も要らない人生に、私はとても憧れる。

アルバイトもせず、ただ家に篭もる日々。親のスネかじって生きてる大学生。みっともない。わかってるよ。

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