狂人の鎖を解くにはー春日武彦「あなたの隣の精神疾患」
春日武彦の著書において一貫しているテーマがひとつある。
それは精神医療についての誤解を解くことだ。
その割には文体が斜に構えすぎてはいないかと思われるかもしれない。
しかしそうでないと解けない誤解があるということは、著書を読んでみればよく理解できる。
特にこの「あなたの隣の精神疾患」はまさにその誤解を解くために書かれた一冊だ。
この本では、精神疾患についての正しい「病気らしさ」を把握し、リアルなイメージを獲得していただくことを目標にしたのであった。さらにその派生として、そもそも病気とは何なのか、治療の意味、幸福のありよう、普通であるとはどのようなことなのか等について(いささか斜に構えつつ)言及した。それらはマンガで「分かりやすく」描いても伝わらない種類の案件であり、また健康雑誌のようにネガティブな側面をスルーしたがる姿勢とは大きく異なるだろう。(p.276)
仕組み的にどうしようもないことだが、人間の心というものを扱う領域では俗説が大きな力を持ってしまう。
自分が例えば精神疾患について専門家ではない場合、あるいは専門家であればなおさらかもしれないが、自分の発信する知識や見解が通俗的な理解を越えるものではないという自覚、あるいは「わきまえ」を持たない限り俗説の流布に加担することになってしまうだろう。
そして恐るべきことだが、これは発信においてのみでなく受信においてを言えることで、ある種の「わからなさ」がわからない限り、つまり解説を読んでそのまま理解した気になっている限り、俗説に絡め取られ誤解と不理解の沼に沈んでいくだけだろう。
その為、今回この本の紹介と感想をここに書いてはいるけれど、この場で「うつ病とは」とか「パーソナリティ障害とは」などと説明するのは慎みたい。
それについては是非この本を実際に読んでいただきたいと思う。
こんな前置きを書かないとならない理由は、有り体に言えばこの本は観察の大切さを説く本であり、そして観察とはそれを行う本人自身以外、誰も代わりに行うことはできないからだ。
観察という本来の態度に立ち返り、あらためて精神疾患のパターンを確認し理解しようというのが本書の狙いである。パターンとは、精神疾患それぞれの「病気らしさ」であると言い直すことが可能であろう。それを検証することによって、昨今の精神医療における生々しい問題点も浮かび上がってくるだろう。(p.8)
観察とは簡単な話ではない。
下手にわかった気になってしまえば簡単に相手を見誤る。
例えば気分屋の相手がいる。
その人がなんだかいらついて見えるがどうせ今日もご飯食べれば気分が変わるだろう。
そう思っていたがその時ばかり相手が本当に怒っていて痛い目にあった、とか。
あるいはいつもぼんやりしている人がいる。
こいつはどうせ碌なことは考えてないはずだと思って意見を無視していた。
でも実は江戸の仇をアラスカで討つかのごとき異様な執念深さを秘めていて復讐された、とか。
そんな失敗は誰しも山ほど経験してきているだろうし、自分はそうでないと言い張る人がいたらおそらくその人がまともに信用されることはないように思う。
観察に立ち返るとはそんなどうしようもなさを正面から受けとめることでもある。
この本の射程は長い。
俗説のトレンドは移り変わりが速く、あるキーワードが流行っていたとしても、この先またしばらくすれば別のキーワードに移り変わるだろう。
そんな流行の移り変わりに「あたふた」する態度をよしとせず、もう少し踏み込んだ領域についても書かれている。
「病気になる」とはどういうことなのだろうか。
「病気がなおる」とはどういうことを指しているのだろうか。
しかし、元に戻ることがベストなのか。発病前は果たして健全な精神状態であったと言い切れるのか。そんな単純な二分法でよいのか。(p.262)
ひとの心とは本当に前人未到のフロンティアなのだろうか。
ひとの心は神秘やインスピレーションの源泉であったり、あるいは特殊な精神状態を体験することで人として次の段階に進んだりできるのではないか、そんな意見は多い。
「うつ」や「躁」であることに変に憧れたり、「パーソナリティに問題がある」ことに何かを託してみたりする人もいる。
病気の渦中にある人自身がその病気に酔うということもあるだろう。
そんな憧れを著者は否定する。
「ロマンティックな狂気は存在するか」という問いに「NO」を突きつける。
軽薄な憧れの態度をこそ、この本は窘める。
それぞれの病気はその人の人生、その人の固有性と深く結びついたプライバシーの塊でもある。
時には自覚すらなくその人を傷つけ、損ない、貶める、そんなリアルな、抜き差しならない問題だ。
それは不用意に評価をしていいものなのだろうか。
もし病を乗り越えて安定に至った患者が、「わたしは病を体験してよかったと思っています。病こそがわたしに本来の生き方を呼び戻してくれたのです」と当方に語ったとしよう。そこで「そうなんだよ!よくぞ言ってくれたねえ!」などとわたしは明るい表情で応じるだろうか。おそらく微妙に強張った笑みを浮かべつつ、「そうかい。でも患ったことを無理に〈価値ある経験〉と思わなくてもいいんだよ」と弱々しく呟きそうな気がする。(p.271)
誰かの人生とは、自分の人生とは、軽々しく評価を下していいものなのだろうか。
だから、繰り返しになるけれど、この場で「うつ病とは」とか「パーソナリティ障害とは」などと説明するのは慎みたい。
それについては是非この本を実際に読んでいただきたいと思う。
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