高橋孝治
平均化訓練を通して得た所感、日常の雑記。
平均化訓練を主とした活動報告のまとめ
振り返り記事をまとめています。 時系列は前後しています。
平均化訓練に関係ない話をまとめておく場所です。
練習で得た所感
2013年9月以来、平均化訓練という体操に取り組んでいます。 平均化訓練とは、平均化体操の実践を中心とした身体の鍛錬法です。 平均化体操とは、身体の無意識な動きを意識化し、全身の動きの連動性を高める為の体操です。 この体操について自分なりの考察を書き出す場所としてこの場を使っていきたいと思っています。 平均化訓練と言う名前は、この体操を発案した人が体操と書くべき場面で訓練と書いてしまったという、ふとしたはずみから生まれたものです。 その平均化訓練という名前がこ
*この投稿は別の場所に書いたものを手直ししたものです。 このnoteの投稿、特に後半の投稿は、あまり人前で書くべきでないことを書いています。 ナイーブな部分を書き出していこうという試みなのでしたが、実際自分で書いていてもあまり気分のよいものではありませんでした。 もう少しましな記事は書けないものかとは常に思っていたし、今でも思っています。 ポリティカリーにぜんぜんコレクトでない表現を選んで言えば、僕はわざわざ「女々しいこと」を書いていました。 それこそ「女の腐ったような」
・この投稿は過去に別の場所で書いたものを手直ししたものです。 毎日書いていることについて、少し時間を取って人と話す機会を得ました。 日常の中ではあまりこの事について人と話をすることはありません。 連日投稿を書いていますが、このことを人と話そうすれば、そのために時間を取らないとゆっくり話すということはできないと痛感しています。 しかし、その時間を得ることができれば、気持ちの整理もずっと進みます。 ほんの1時間2時間でも、とてもありがたいと思います。 会話の中で気持ちや考えを
人によってつけられた傷は回復に時間がかかると聞いたことがあります。 まさに自分がそれと格闘しているわけですが、実態として怪我をしているか否かを超えて、残った遺恨がわるさをするのだと感じます。 自分の責任だと思い切ることが出来れば話は早いですが、無理にそう思い込むこともまた嘘があり、なかなか納得はいかないまま時間が過ぎていきます。 どうも背中を殴られた出来事そのものより、その後やり取りのほうが大きく影響しているように感じます。 やっぱり最初から最後まで気持ちの問題なのでしょう。
平均化訓練の講座が始まってから10年になる為か、僕のnote記事も最近またよく読まれているようです。 これを書いていた当時、とある理由から投稿数を増やすことに注力していました。 今回改めていくつかを自分で確認してみてもあまりよい文章とは言い難く、いまさらそこは恥ずかしくもあります。 投稿数こそ多いですが、その中で読まれるべきものは実際多くはありません。 全体の1割以下ではないかとも思います。 それは楽しく体操が出来ていた最初期の2年ほどについて書かれた部分であり、残りの恨
ずいぶんと古い話になってしまったけれど、僕は当時集まってきたナンパ師の人達のおかげで本当にやり辛くなってしまった。 彼らに同調する気にはなれず、とはいえ批判することも出来ずで、彼らの活動を砂を噛むような気持ちで眺めていた。 なにしろ僕がやりたくないことやるべきでないと思うことを彼らは全部やってしまう。 勝手に講師を名乗りお金を取って人に教えたりとかね。 挙句、先生が許してくれたとか、法的にはOKとか。 それは本当なのか、僕はそこには大きな嘘があると思う。 そう思うが、しかし彼
しばしば確認していると連日の投稿が終わった後も細々と投稿を読んでもらえているようです。 投稿をやめてしまえば記事を読む人が途絶える日もすぐに来るかと思っていましたが、どうもそうでもないようです。 平均化訓練について調べてみようとすれば、すぐにこのnoteが見つかるので、読む人が絶えない理由はその辺にあるのかなと思います。 理想を言うと、平均化訓練について調べた時に難しそうな言葉が並んだりするより「体操最高!イェイ!イェイ!」みたいな明るい言葉が山盛り出てくるような世界を目指
背中を殴られなければどうなっていただろうか。 そんな未練はずっとある。 体操が楽しいまま続けていられたら、今はずいぶんと違うものになっていたのではないか。 もちろん楽しいままでもその先に挫折も苦悩もあるのは間違いない。 どうなっていたかは誰にもわからない。 ただ、楽しく続けていた先に僕のやりたいことはあったはずで、あの時にチャレンジそのものが潰えてしまったことが残念でたまらない。 平均化訓練を身に修めてその先でやりたかったこと。 それは今さらここで言っても誰にも共感されず
平均化訓練が本当に楽しかった期間はそれほど長くない。 2013年9月から2016年2月までの2年半くらい。 この時の楽しさはよく覚えている。 体操自体も今より上手だったように思うのは自分の中に体操の感覚があったからだと思う。 状況はどうあれそれを取り戻すことが何より優先されるべきだろうと思うと同時に、平均化訓練の全体の流れに足並みを揃えていこうという考えもあり、それ以来どうもうまくいかないチグハグな状況が続いてしまったように思う。 結局のところ平均化訓練の全体の流れみたい
平均化訓練について自分の中に納得が生まれ、投稿の役割も終わりになりました。 しかし、その納得が生まれて僕の中に体操の感覚が取り戻されたのかは別の話です。 どうすれば体操が取り戻せるだろうか。 それはまだまだ長い道のりがあるように思います。 ただ、自分を縛る疑問や迷いはなくなりました。 この先、何かしらのきっかけで体操の感覚がまた得られるのではないか。 納得のいく鍛錬が出来るようになるのではないか。 そんな気もします。
指針にするはずの感覚を見失ってしまい、それからずいぶんと長い時間が経ちました。 練習が練習にならず、あまり身動きもとれず、練習にあてようと用意していた時間を持て余して他の事をやっていたら、それはそれで楽しいけれどその時の虚無感はひどかった。 失うものがあれば得るものがあると言いますが、それらは決して等価ではないと思う。 理解も共感もいらないと黙々とやっていたはずのことが、台無しになった途端に誰かにわかってほしくなってしまった。 どうすれば感覚が取り戻せるかと迷いながらあれこ
行き場のない、そして中身も無い、そんなわかってほしい気持ちが、いちばんいらない邪魔なものと感じているのにどうしても捨てることが出来なかった。 繰り返し現れていつまでも着いてくるこの気持ちはなんなのか。 まさに余計なものです。 最初はそんなわかってほしい気持ちなんてカケラも存在しなくて、はっきり言えば誰にも知られないようにやろうとしていたはずなのにです。
もうこの場に弱音をわざわざ書く必要もなくなりました。 おそらく最初の直感こそ的を得ていたけれど、それは脆くも崩れ去ってしまった。 そして誰かに理解されるはずもないことを、こうもわかってほしいと思ってしまうのは何故なのか。 自分で不思議に思うところがありました。 しかし、最後の最後でなんとかその答えを得ることが出来たようです。
何故受けとめることが出来なかったのか。 それを受けとめる為には、どうしても捨てなければならないものがあったからです。 それはもう最初から捨てなければいけないとわかっていたはずなのに、それまでにとても長い時間をかけてしまった。
ようやく納得が出来たことがあります。 これまでは相手をどう許せばいいのか、出来事をどう認めればいいのか、そればかり考えていました。 でも、まずはそれを受けとめない限り何も始まらなかったのだと思う。 そして僕はそれがずっと出来なかった。
自分の中にひとつの納得が生まれ、このnoteの役割が終わってしまいました。 このままいきなり最終回になってもいいのですが、もうすっかり習慣になっています。 もともとは3月まで1年間投稿を書くつもりでしたし、このままちょっと書き続けて今月末で最終回でもいいかもしれません。