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母の後ろ姿
一昨日、母が遊びに来た。先月、母の誕生日があったので、今回はなにか美味しいものを食べに行こうと話していた。そして、気になっていた洋食の店を予約しておいた。
目当ての店は、住宅街の中にポツンと現れた。看板はないに等しく、金色のとても小さなプレートが、ささやかに出迎えてくれる。あいにくの雨だったので靴の先が濡れてしまったけれど、静かな路地を傘をさして歩くのは心地よかった。
予約の時間に到着すると、一番奥の席に通された。店はとても狭く、2人がけのテーブルが4つ、4人がけのテーブルが1つだけ。席同士の間隔はかなり近く、隣の人の話の内容がすっかり聞き取れるほど。
カウンター内の厨房もとても狭くて、ここで調理できるのかと驚く。でも店内の雰囲気はとてもよく、洗練されている。天井まで届く窓ガラスからは光が差し込み、温かなランプに雨が映り込んで、とてもきれいだった。
予約しておいたのは、前菜、スープ、魚料理、サラダ、肉料理、デザート、飲み物のフルコース。テーブルにはナイフやフォークと一緒に箸が置いてあり、来店前に緊張していた母は、ホッとしている様子。
「おいしいね」「うん、おいしいね」と言いながら、ゆっくりと食べ進める。器やカトラリーも、すてきなものばかり。嬉しそうにしている母の姿を見て、この店を選んでよかった、と思った。
年をとって体型が大きく変わった母の後ろ姿を見て、あとどれだけ一緒に過ごせるのだろう、とつい考えてしまう。食事をしながら、終活について少しだけ話をした。うちは父がもう他界しているので、母ひとり。地元には弟家族がいるので安心しているけれど、母になにかがあったとき、事務的な手続きはすべて、わたしの役回りになるのは目に見えている。父のときもそうだった。
「保険のことや預金通帳のことなんかを、今度あんたが実家に帰ってきたときにでも、話そうか」と、母がポツリと言った。正直、母はまだ十分若いけれど、健康そのものだった親戚のおばさんが、脳梗塞で急逝したのを機に、いろいろ考えているようだ。
3日間、母の写真をたくさん撮った。ごはんを食べているとき、街を歩いているとき、温泉上がりに休憩しているとき。何気ない一瞬を残しておきたいと思ったのだろう。無意識のうちにシャッターを押していた。
まだ社会人1年目のとき、実家に帰省した際に、父と母が車でバスセンターまで送ってくれたことがある。そのとき、カメラのフィルムが1枚だけ余っていたので、父と母のツーショットを写そうと思い、声をかけた。
母は「写真は苦手だけん、よかよか」と言ったけれど、父が「せっかくやけん、ほら、こんか」と言い、めずらしく自ら写真に写ろうとしていた。母は少しだけ顔を赤らめ、父の隣に並んだ。2人は恥ずかしそうにはにかんでいたけれど、最高の笑顔だった。まるで、初めてのデートのときのように。そして、そのときの写真が、父の遺影に使われた。
人の記憶は確実に薄れていく。過ぎ去ってみれば、何気ない日常の一コマが、どれだけ尊いものであるかがわかる。いつまででも覚えておきたい光景を、大切に、大切にしようと思った。