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おかげさま
先日、誕生日を迎えた。また一つ歳を重ねたわけだが、いくつになっても、なにも変わらない気がする。大人になると誕生日にケーキを買ってお祝いすることはなくなったけれど、毎年ささやかなことでいいから、できれば特別なことをしたいとは思っている。
今年はちょうど日曜日にあたり、仕事も入っていなかったので、せっかくならと日帰りで出かけることにした。行き先は「宗像大社」。最近思うところがあり、神社参拝をすることにした。
当日は朝から澄み渡った秋空で、格好のドライブ日和。高速を運転する間、ここ10年ほどのことを思い返していた。大きく体調を崩して文字通り動けなくなったこと、2年間リハビリをしてやっと杖なしで歩けるようになったこと、また運転できるようになったこと、台所に立てるようになったこと、仕事ができるようになったこと、一人暮らしができるようになったこと。
できないことだらけだった日々には先がまったく見えず、元の生活に戻れる気がしなかった。でも、できることはゆっくりではあるけれど、少しずつ、着実に増えていった。人間の体が秘めている力は計り知れない。あんなにも辛かった時期のことは、正直ぼんやりとしか覚えていない。「忘れる」ことも、人間に備わった大切な能力の一つなのだろう。忘れることで、前に進めることもある。
宗像大社本殿の奥にある「高宮祭場」は、社殿がない古代の祭場。自然崇拝の場であり、鬱蒼とした森の中に佇んでいる。森へ足を踏み入れたとき、空気が違うことを肌で感じた。お参りしたあとも、なかなかその場を離れることができない。自然と涙が出てきて、「あぁ、わたしは生かされているんだ」と思った。
それまでひっきりなしに人が訪れていたのに、5分ほど、人の流れがピタッと途絶えた。わたしはしばらくその場で目を瞑り、ただただ、あらゆるものに感謝した。
御朱印を待っている間、スマホにメッセージが届いた。母からだった。「お誕生日おめでとう。これまでいろいろなことがあったけど、ここまでよくがんばってきたね。今度帰ってきたらおいしいものでも食べに行こう」。例年、こんな改まったメッセージをくれることはないのに、今年はお互いの波長がリンクしたのだろうか。目頭が熱くなりながら、「おかげさまで。ありがとう」と返信した。
誕生日は祝うことに目が向きがちだけれど、この世に生まれてこられたこと、育ててもらったこと、働けること、友人がいること、やりたいことをやれていることなどに感謝する時間にするのも良い。帰りも運転しながら胸がいっぱいになり、とても満たされた1日となった。
普段落ち込んだり、嫉妬したり、怒ったり、悲しんだりといった負の感情もたくさん味わうけれど、足りないものを数え上げるのではなく、すでに自分が持っているものに気づきさえすればいい。