ゆううつな女の子たち【短編小説】
とある村のはしのほう、学校からも遠くてシラカバのおいしげる森に囲まれたところに、ふたりのなかよしな女の子がいました。ひとりはビアトリス、もうひとりはナタリーといいました。ビアトリスはいつもゆううつそうな顔をしていました。彼女が、ゆううつだと思うことをあげるとしたら、宇宙の果てまでそのことばがつみかさなっても足りないでしょう。たとえば、学校がうちから遠いとか、池の水がきたないとか、本がぶあつすぎるとか。はんたいに、ナタリーにはなにもかもがあかるく、すてきに見えました。さきほどのビアトリスのきらいなことをナタリーのことばにへんかんすると、こうなります。学校まで友だちとたのしく歩いていく距離が長い、汚い池で魚つりをする人はいないだろうから魚たちがよろこぶ、本の中でたくさんの冒険ができる。とにかく、そういうわけです。
ビアトリスは15ショットのエスプレッソを飲むのが好きでした。エスプレッソマシンで自分で作るのです。ナタリーはビアトリスがコーヒーを飲むところをよく見ていましたが、いつも、よくそんなに飲めるねというだけで、自分は飲もうとはしませんでした。ナタリーはコーヒーはどうもすきじゃないのです。ただ、コーヒーを飲む人はおとなっぽいなあと思っていました。
ふたりはいつもいっしょに学校へ通いました。ナタリーははしゃぎながらビアトリスに言います。
「けさ、うちの弟が、あたしのふでばこの中のえんぴつをぜんぶ食べちゃったんだよね」
「トビー、だよね?なんてこと」
ビアトリスはそんなこと聞きたくないというように顔をしかめて言いました。
「それで、どうなったの?」
「トイレに行って、出したらけろっとしてたわよ」
はあ、よかったね、とビアトリスは言いました。
「でも、二度とその話しないでよね。へどが出そうなんだから」
「わかったよ。ん、なんかいいにおいしない?あ、ビアトリス、見て!キンモクセイの花が咲いてるよ」
いつのまにかキンモクセイのかわいらしいオレンジ色の花が咲きみだれていました。
「甘ずっぱくていいにおい」
ナタリーは思いきり息を吸いこみ、うれしくてたまらないと言うようにくるくると回りました。
「ねえ、ビアトリスもかいでみて」
「はいはい」
ビアトリスは言うと、ちょっと鼻から息を吸いました。なんてにおいだ、これはあたしがかぐべきにおいじゃない、ナタリーはいいけど。ナタリーはなんてキンモクセイににつかわしいのだろう。あいらしくて、まぶしくて。ビアトリスはがくぶちの中で輝く絵をながめるように目を細めてナタリーを見ました。
その日、学校で、ビアトリスが給食のカレーを重そうに運んでいると、ばかみたいにはしゃいでいる男子、ウォーレンが、彼女にぶつかりました。カレーはみごとに盛大に廊下のゆかにぶちまけられました。ビアトリスはウォーレンの胸ぐらをつかむと、
「サイテー!消えてよ!」
と低く叫んでつきはなしました。ウォーレンは壁にいやというほど頭を打ちました。ナタリーがあわてて駆けつけました。ナタリーの顔を見て、ビアトリスは自分のしたことの深刻さをやっと知りました。先生もやってきました。ビアトリスは先生のすがたを見ないうちに廊下をかけだしていました。
ビアトリスは校庭の土管の中にうずくまっていました。ウォーレンにもうしわけないという考えなど少しもありませんでした。ただ、先生や親におこられたくない、それしか頭にありません。
「ビアトリス、見つけた!」
ナタリーの声がして、ビアトリスはまた逃げだそうとしましたが、うでをつかまれたのでかないませんでした。
「やめてよ、ナタリー。あんたにはかんけいないじゃん」
「いいじゃない、友だちなんだから」
そう言ってナタリーはビアトリスのとなりにはいよってきました。
「で、なんであんなことしたの?」
「あんなことって?」
「だから、ウォーレンをけがさせたじゃない」
「けがしたの?」
「たんこぶができたの」
ビアトリスは、ひとりになって、ずっと土管の中にいて、死んでしまいたいと思いました。そうすれば、ビアトリスをしかろうとしていたおとなたちも、少しはあわれんでくれるだろうと。
「ね、理由を説明すれば、ウォーレンもなっとくするかもしれないよ。ゆるされることじゃないかもしれないけど、もしかしたらじょうじょうしゃくりょう、してくれるよ」
「べつに。理由なんてない。ただ、むかついたの。最近はむかつくことが多くて、今日はたまたまむかつきが最高にたまる日で、ウォーレンが爆発のひきがねになっただけ」
「むかつくこと、教えてくれる?あたし、ナタリー先生に」
「先生」そう言って、ビアトリスはくすりと笑いました。
「うちに犬がいるんだけど、なかなかなついてくれなくて、おもちゃを近づけてみせたり、ぎゅっと抱きしめたりするんだけど、なぜか、あたしのことを見ると逃げだすようになっちゃって。お母さんが、あんまりしつこくするなって、きれちゃって」
「ふうむ」ナタリーはそれらしく言いました。「それを解決するには、いったんわんちゃんからはなれることが必要ですね。動物はわりと、コツさえつかめれば単純にあやつれるよ」
「なるほど」
「ほかは?」
「借金が増えちゃって、親が困ってるんです。重くてごめん、重いよね?」
「いいのよ。あなたにできることはあるの?」
「バイトすること、かな」
「あたしとしては、むりはしないでほしいですね。だってあなたのせいじゃないもん。こどもはせいいっぱい遊ぶ!これに限るね。遊びならいつでもあたしをよんで。息抜きになるよ。あとはある?」
「コーヒーが好きすぎて好きすぎて。どうすればいい?」
「なるほど。エスプレッソ依存症ですね?そんなときは、少しミルクを足しましょう。そして日にひに増やしていく。いいですか、ミルクですよ」
ビアトリスは少し黙って、言いました。
「ちょっとすっきりしたよ。ありがと」
「ナタリーにおまかせあれ!じゃ、行こっか、あやまりに」
ビアトリスはため息をついて、土管から出ました。
ある時ナタリーはビアトリスと家に帰っていました。キンモクセイのなっている道に小さな段差があって、いつもはふつうに乗りこえるところを、今日はうっかり気づかずに、ナタリーはつまずいてしまいました。ビアトリスはナタリーが前にたおれるのを見ました。ナタリーは転んで地面に手をついたとき、天地がひっくりかえるようなめまいをおぼえました。
「ちょっと、ナタリー、だいじょうぶ!?」
ビアトリスはナタリーのとなりにしゃがみこみ、その顔をのぞきこみました。ナタリーは、ぼうっとして、口だけ動かしてだいじょうぶと言いました。彼女のようすが変です。ビアトリスはいつまでも立ちあがろうとしないナタリーを助けおこしました。ナタリーは起きあがり、目の前にあるキンモクセイに気がつきました。それはなんの価値もない、ただの甘ったるいにおいを発する木でした。ナタリーはみにくいキンモクセイのねもとにつばをはきかけました。そして、きびすを返し、ビアトリスの背を押して「ばからしい。行こっ」と言いました。ビアトリスの家にふたりは行きました。ビアトリスはいつもどおり15ショットのコーヒーをいれようとしました。そこへナタリーが、
「ねえ、あたしのもおねがい」
と言いました。
「なんで?コーヒーきらいなんじゃないの?」
「べつに、きらいとは言ってないよ。つべこべ言わずに、さあ」
ビアトリスは変な顔をして、ふたりぶんのコーヒーをいれました。
ナタリーはコーヒーをぐいっと飲みほしました。ビアトリスはそれを横目で見ていました。ナタリーはコップをテーブルに置いて、つぶやきました。
「ごめんね。もうあたし、あなたといっしょにいられない」
「えっ?」
ビアトリスは目を丸くするしかありません。ナタリーは言います。
「あたし、都会へひっこすの」
「……」
「そして、ここにもどることは二度とない」
「はは、うそだよね、そんな」
「うそじゃない!」
「そんなの、信じられるわけないじゃん。いつ決めたの?もっとほんとうらしく言ってよ。あたしとはなれるなんて、しょうきなの?」
「ええ、あたしはいたってしょうき。いつ決めたか、それは、今よ」
「わかった」
ビアトリスは、なにが「わかった」のか、わかりませんでしたが、そう言いました。そして首をふりました。
ナタリーのひっこしの日は雪がちらちらふっていました。ビアトリスはひざにタオルケットをかぶせて、静かに部屋で読書していました。テーブルにはいつものコーヒーが置かれています。少したつと、窓の外で、雪をふむ足音がきこえてきました。ビアトリスは文字を追う目をいっしゅん止めました。そして、音はしだいに遠ざかっていきました。きっと、キンモクセイの木があるであろう方向へ。ビアトリスはただこう思いました___ナタリーに幸多からんことを___と。
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