16才とまの話4。精神神経科

四日目

 僕が精神病棟の十一階に上がろうとしたら、母子がエレベーターの前に立ってたんだ。子供はかなり幼いように見えたな。四、五歳じゃなかろうか。可愛らしくて、無邪気にはしゃいでる声に心をくすぐられたがね、僕の顔には気掛かりな微笑が浮かんだだけだった。というのも、子供の頭はかなり禿げて、細い毛がむなしく揺れていたからだ。その子に、笑うんじゃなく、悲しそうにしていてほしかったと思うのは僕だけかな。僕が悲観的なだけ?子供の隣でつつましやかに立っている母親は、どんな表情をしていたんだろ。何しろ後ろ姿しか見えなかったもんだから。その背中には、子供を包む仄かな光の取り払われた時に露呈するであろう悲哀の予感が漂ってた。その時、彼女のえび染めのカーディガンと、昨日、病院の往来の激しい廊下で両手をしっかり組んで目をつむっていた女性が、それぞれ別の意味を持って眼前に交互に閃いていったんだ。
 何はともあれ、僕以外のことに関心を払うようになったのはいい兆候だと言わなければならない。
 ああ、猫カフェね。行った行った、母さんと。あんまし興奮してないだろ。猫カフェについて、確かに大した感慨を持たずに帰ってしまったからな。そう、意外にもね。帰り際、僕から同類の、すなわちふくちゃんの匂いがするからか、一匹の毛の長い猫が近くに寄ってきたことくらいしか鮮明に思い出せないや。あと、ふくちゃんに似た猫がいて、僕はそいつを特に気に入ってやたら撫でていたんだけど、そこで思ったんだ。僕は猫が好きなのではなく、唯一無二のふくちゃんが好きなんだって。飼い主でもないやつにべたべたされて喜ぶ猫などどこにいる?それに猫に鼻つまみ者扱いされて喜ぶ人がどこにいる?要するに、飼い主とペットは、愛の相互作用で成り立っている訳だ。

                             とま

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