師匠は褒めるけど、本人的には納得してなくて悔しいって感じのきっと熱い話。
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再びリフトに乗って山頂からロープウェイの駅に戻ってきた。12時10分。ちょうど昼時だ。
ロープウェイの山上公園駅にはレストランとフードコートがある。レストランは混んでいるようなので、フードコートで食事をとることにした。
わたしは名物であるらしいカレーうどんを、いちがやさんは五平餅と生ビールを、たかやまさんはカレーうどんと五平餅を注文した(ちょっとややこしい)。五平餅と生ビールはすぐ供される。
たかやまさん
「茶色い」
ささづかまとめ
「きっとカレーうどんも茶色いですよね」
いちがやさん
「もうそれいいって」
たかやまさんは無邪気に笑って五平餅にかぶりつく。いちがやさんは生ビールを静かに飲んで…飲んで…飲んで、残りは3割くらいになった。
ささづかまとめ
「ビールに五平餅って合うんですか?」
いちがやさん
「あはは、もちろん合うよ。食べ物ならだいたいなんでも合う」
本当にそうだろうかと思ったが、今日一番しあわせそうな顔をしているのでそれ以上わたしは何も言わなかった。
たかやまさん
「さーさちゃんも食べればよかったのに。すごくおいしい」
唇の端にタレをつけてたかやまさんが言った。いつも眠そうな目をしているのに、おいしいものを食べたときだけまぶたがしっかり開く。
ささづかまとめ
「おいしそうですけど、わたしの胃袋的にはカレーうどんだけで十分なので」
たかやまさん
「朝ごはん多かった? さーさちゃんお腹いっぱい?」
深刻に心配そうな顔をしてわたしの顔をのぞきこんでくる。
ささづかまとめ
「そこまでじゃないです。意外と食べられそうです」
たかやまさん
「それならよかった。はあ、カレーうどん大盛りにしたかったなあ」
たかやまさんが厨房のほうを見て言った。食券の券売機に大盛りのボタンがなかったのであきらめたのだ。ここはセルフのうどん店でもサービスエリアでもないのでしかたない。
やがて呼出機がぶるぶると震える。受け取って席に戻る。どんぶりから本格的なカレーの香りが立ち昇っている。
カレーうどんはふわふわした麺に、見た目よりさらりとしたルーが絡んで温まる味だった。たかやまさんによると伊勢うどんの麺の食感らしい。たかやまさんもわたしも、ときどき垂れてくる鼻水をティッシュで抑えながら食べる。スパイスたっぷりだった。
たかやまさん
「はー、辛い」
ささづかまとめ
「辛いですけどおいしいですね」
いちがやさん
「ふふ、ふたりで並んでカレーうどん食べてるの、なんかかわいいね」
向かいに座っているいちがやさんが微笑みながら、五平餅をかじりつつ言った。生ビールが入っていた大きなグラスは空になっている。少し酔っているのかもしれなかった。
帰りのロープウェイはグループごとに案内される。10人ほどしか並んでいないので、そのペースでいいのだろう。わたしたち3人で搬器を独占する。わたしたち3人も結局は静かに乗るのだが、行きの静寂とちがってずっと気が楽だ。
たかやまさんが行きのロープウェイの中でささやいた問題の答え合わせをしてくれる。
たかやまさん
「あの岩場は尾根を麓から登ってきた人が一番上に着く。そして岩場を下りて、また山道を登る」
ささづかまとめ
「朝のあの人たちは岩場を登ったわけじゃなかったんですね」
13時15分に麓のロープウエイ湯の山温泉駅に着いた。駅名標の写真を撮っていると、
いちがやさん
「これかわいいなあ、ハンドレタリングじゃない?」
たかやまさん
「ほんとだ、手書き」
言われて気がつく。たしかに手書きだ。職人がフリーハンドで看板に文字を書く動画を見たことがある気がする。この駅名標はいったいいつのものなんだろう。
いちがやさん
「『お』がいいな。丸いところちょっと失敗してるし、点も離れててへっぽこな感じ」
たかやまさん
「私は最後の『ん』が好き。このまま傾いて落ちそう」
ささづかまとめ
「『ま』も少し左にずれてますけど…。この駅名標書いた人って、プロなんですかね?」
わたしの疑問にふたりとも黙ってしまった。
いちがやさん
「……中学生が文化祭で作った感?」
ささづかまとめ
「いや、職人さんです。職人さんにはちがいない」
たかやまさん
「言い聞かせてる」
ささづかまとめ
「中学生が駅名標書くわけないです。ね?」
たかやまさん
「それはそう」
ささづかまとめ
「中学校卒業してすぐ師匠に弟子入りした職人の男の子が初めて任された仕事だったんですよきっと」
いちがやさん
「この腕前で仕事やらせるの?」
ささづかまとめ
「師匠が言うんです。『俺が坊やくらいの歳のときは下積み10年、その間はひたすら見て学べと言われたもんだ。でもな坊や、今はそんな時代じゃない。俺はもう俺の持っているもの全て教えたつもりだ。あとは坊やが自分で上手くなる番なんだ。なあ、いっぺん坊やのセンスでやってみろ。ずっと残るものをその手で作るんだ。何、怖がるんじゃない。ちょっとくらい失敗したっていいじゃあねえか。だから、やってみろ』って」
いちがやさん
「いい師匠、なのかな?」
たかやまさん
「坊やががんばってこれ作ったんだ」
ささづかまとめ
「そう思ったら素敵ですよね?」
いちがやさん
「そうだね。下手だけど」
たかやまさん
「うん。下手」
ささづかまとめ
「うう〜。やっぱり下手だあああ」
擁護しきれなかった。ごめんね坊や。
駅前に出ると大道芸のショーが行われている。平日だがやはり今は多客期ということなのだろう。
「それではこれが最後のパフォーマンスになります。正直、成功するかどうかわからない大技です。もし成功したらみなさん、大きな拍手をお願いします。そして、もしよかったら。すごいなって思ったら。その気持ちをこの、僕の目の前にある箱にお願いできますでしょうか?」
とかなんとか言っている彼の横を通り過ぎ、道路に出る。
いちがやさん
「ねえ、バスってあの駐車場で待ってればいいんじゃないの?」
そうだった、いちがやさんは細かな行程を知らないのだった。いちがやさんはよく文句を言わずについてきてくれるなと思う。いくらミステリーツアー的な企画とはいえ、それは出発までの話だし、もう現地にいるのだから行程をすべて伝えたほうがいいのだろうか。
ささづかまとめ
「これから日帰り温泉に行くんですけど、近くにバス停がないので歩いていきます」
いちがやさん
「そうなんだ。どれくらい?」
ささづかまとめ
「2kmもないくらいです。30分くらいで着くと思います」
いちがやさん
「よかった、わりと近くだった」
安堵した表情のいちがやさん。これまでの旅行で歩いた距離に比べれば…と思っているのだろう。とりあえず今のところはご機嫌で歩いてくれそうだ。……とりあえず、今のところは。
たかやまさん
「ねえ、あそこの橋見に行こう」
駅前から歩き出すとすぐに、たかやまさんが前方に見える大きな橋を指さして言った。行きのバスで通った見晴らしのいい新しい橋。温泉への経路上でもあるので向かう。欄干に「湯の山かもしか大橋」と書かれたプレートが嵌められている。
かもしか大橋は背の高い金網フェンスが設置されているが、その金網の目から谷底を眺めるとたしかに深くて、フェンスがあるのも納得だ。
「怖い」
そう言ってたかやまさんは谷底を見つめる。
「怖いですね」
わたしもそう言って谷底を見つめる。
いちがやさん
「怖いなら見なきゃいいと思う」
「でも見ちゃう」
「見ちゃうんですよう」
わたしたちがそう返すといちがやさんは「ならしかたない」と言った。そしてたばこを取り出して吸い始めた。いちがやさんがたばこを1本吸い終わるまで、たかやまさんとわたしはずっと谷底を眺めていた。
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