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春眠暁を覚えないのに、狸と恋文により睡眠不足な春 2019.4
春眠暁を覚えず。
この言葉を知ったのが漢詩の授業。
昔の人も学生の私と同じく布団の中でまどろんでいたことがなんだか妙に面白く、韻を踏む五言絶句、七言絶句を習っては、「結局はRapなのか!」と一人感動した。なんだか濁音が多いその言葉にドラクエの魔法のように「五言絶句!七言絶句!」と唱えたりもしたあの頃。
また、変わり者の友達が多いと定評のある私。
留学先のアメリカに漢詩で近況報告する父をもつ友人がいたことを思い出したりする。娘は、三島由紀夫全集をはるばるアメリカまで持ってきていた。
あぁ、不思議。
話がすぐ逸れることにも定評のある私。
話が逸れ過ぎて自分を見失うこともしばしば、
そこから見失った自分探しの旅にでたりもします。
また話が逸れました。
昔の人もその心地よさに抗えなかったほど、
春の布団の中はぬくぬくしていて気持ちが良い。
そろそろ布団から出なくては、いや、まだ布団の中にいようと
無駄な小芝居をしているうちに、また眠りの世界へ落ちている。
ただでさえ眠い毎日、春の日の眠さはその上の上をいく。
そんな常に眠い状態の中、同僚が貸してくれた本。
恋文の話と狸と人間と天狗の話。
普段なら、通勤車内の中で、人混みに揉まれながら、得意のぼーっとをきめるか、日経新聞を読むビジネスマンとは違い、全く仕事に役だ立たないくだらない調べ物をしたりしていた。
だが、この春の私は違った。
通勤電車の中でヨガの聖人のような姿勢を強いられても、
活字がどんなにクローズアップされても、貪るように読書を続けた。
気づくと背中には薪を背負い、その姿に車内では、
歩く二宮金次郎と言われたとか言われなかったとか。
仕事中も本を読みたいとう気持ちを抑え、昼休みになれば本の世界に。
また、仕事に向かい、帰り道も本の世界に。もちろん就寝前も本の世界に。
そんな姿に友人達もあいつは変わったよなと言ったとか言わなかったとか。
恋文のお話は、手紙の形式で書かれたお話で、手紙のやり取りから、
登場人物のこと、これまでのこと、主人公のこと、それ以外のくだらないことが段々わかってきて、気づいたら、そのやり取りの虜になっている。
主人公が手紙を送る相手も何人かおり、それぞれに強烈な個性をもっている。
手紙で読んだ話が違う手紙に出てきたりして、物語がさまざまな視点から語られ、さらに目が離せない。何よりも全体に漂うくだらないけど大真面目な所が最高。
読み終わった時には、本を床に置いて、拍手を送りたくなったほどです。
私史上、大好きな本になりました。
もう一つは、狸と人間と天狗のお話。狸情溢れる狸ファンタジー。
平成狸合戦ぽんぽこと並んでいわゆる狸モノと言われるジャンルの代表格だ。
京都を舞台に狸の視点で描かれる不思議なお話。
その設定に最初は戸惑ったものの、話を読み進めるうちに、
徐々にその世界にひきこまれ、普段の生活においても、
職場のあの人が狸や大狸に、あの人も天狗や人間にみえてくる。
仕事以外の時間は、空想狸の世界に身を置き、
仕事となると現実世界の狸や天狗や人間に翻弄される。
ひどい時は夢の中でも狸がでてきて、散歩中のポメラリアンが狸に見えたりする。
ファンタジー要素だけではなく、尻を冷やすななどという
有難い健康上のアドバイスをくれる点もこの本のよいところだ。
そういう訳で、この春の私は慢性的な睡眠不足に陥ったのである。
面白きことも然り、くだらなきことも良きことなり。