森見病。
それは、四六時中森を見すぎて、学校にもいかず、
会社にもいかず、終いには森からでてこなくなる病気、ではない。
いや、逆に木に惚れ込み、木の細部ばかりをみて、
森を見ず、全体が見えない病気、でもない。
これは、森見登美彦先生の世界にはまり、寝ても覚めても
著書を読み耽り、本の続きが気になり、続きを想像して、
現実と森見ワールドの区別がつかなくなり、
世界が狸と人間と天狗で構成されているような気がしてきて、
田貫湖を狸湖と聞き間違えるようになり、
すっかり京都の大学の三回生気分になり、自分の住む街は京都だと思い込み、
自分の住む場所は四畳半だと思い込む病気である。
睡眠第一で、朝起きて最初に思うのが早く家に帰ってきて寝たいと思う私。
そんな私も森見病に罹ってからは、大好きな睡眠時間を削って
森見ワールドにトリップしている。
朝は家を出る前に森見ワールド、通勤中に森見ワールド、
お昼休みに森見ワールド、帰宅中に森見ワールド、寝る前の森見ワールド。
さて、森見ワールドと何回言ったでしょう。
これでは、現実と森見ワールドの区別がつかなくなるわけだ。
中毒者のように気づくと本を開いている。
本のページをめくっていないと落ち着かない。
気づくと1ヶ月で5-6冊本を読んでいた。
しばらく活字とは一定の距離を置いていた私だが、
急接近しすぎてこのままゴールインしそうな勢い。
このペースはとどまることを知らない。
全ての著書を読みきる所存だが、しばらくはまだ持ちそう。
なくなった時が怖い。
頭の中のくだらない領域を司る機関が急に発達し、頭でっかちになってきた模様。生まれつきもっていたそのくだらない才能がさらに研ぎ澄まされ、
こうやってなんの生産性もない文章を生み出す。
森見病患者の行方を見守っていてください。