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北大西洋本鮪(クロマグロ)定置網事業その2

タンジール(タンジェ)の空港を出ると制服を着た職員風の男たちが群がってくる。頼んでもないのに荷物を勝手に運び、料金を請求してくるシステムである。モロッコではこの手のトラップが数多存在する。同行する商社の方の助言もあり難なくトラップをかわし、車に乗り込む。車を用意してくれたのはスペイン最大のマグロ生産会社Wのモロッコ定置網事業の担当者。そこから車で約1時間。私は初めてララチェ(ララシュ)という小さな漁村に向かった。そこはモロッコのクロマグロ定置網の基地となっており、日本の関係者もそこに滞在する。車窓の外には延々と牧草地帯が広がる。やがて高速を降りララチェの村に入る。そこはまさに北斗の拳の世界。廃墟のような建物が立ち並び、人が住んでいるのか住んでいないのか。人々の服装はねずみ男さながらであった。私の眼には非常に不気味に映っていた。車中、あの歌が延々と脳内をリピートしていた。

♪ゲ・ゲ・ゲゲゲのゲ~

夜~は墓場で運動会

楽しいな楽しいな

オバケにゃ学校も~試験も何にもない♪

そうこうしているうちに滞在するアパートに到着した。そしてこれがその後数年間続く蟻地獄のような日々の始まりであったことは知る由もなかった。

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入社して3年目の2007年4月、当時の副部長から席に呼ばれた。

副部長「俺とモロッコ行きてえか?」

私「行きたいです。」

かくして私の初海外出張が決まったのである。

海外での仕事に淡い憧れを抱いていた私は軽いノリで答えたことをこの後、死ぬほど後悔するのであった。

それは当時、超大手商社Xと静岡県焼津市の老舗まぐろ問屋Yの共同事業であった。

そこに私の働いていた荷受会社Zが割って入らせてもらうことになった。

その新規参入の初年度。

モロッコの漁師からスペインの会社Wが買い付け、それをXが輸入しYとZで分け荷をする。

Z社の買い付けの重量約150t

単価が当時1500円/kg

→買い付け金額2億円以上

の仕入れ担当をいきなり任されたのである。

日本には地中海から養殖本鮪の買い付けを行う会社は数多ある。しかしこれは天然本鮪の買い付け。当時買い付けをしていた会社は日本に数社しかない。あとから知ったが難易度SSS級だったのである。

新卒3年目の春。

ただしその時は何の責任感も持ち合わせていなかった。

上司に付いて行って言われたことをすればいいだろう。くらいの簡単な気持ちであった。

慶應義塾大学商学部を卒業し入社したのだが慶應卒の市場関係者は極めて少なく、当時まだ社会人として何も仕事を成し遂げていなかった私の唯一のアイデンティであったが、毎日のように向けられる一つの質問に辟易としていた。もっと自分の本質に対する評価が欲しかったのだと記憶している。

「なんで慶應出たのに市場で働いてるの?」

逆に質問してくる人がどれだけ強い志を持ってこの業界に飛び込んできたのか教えてもらいたいくらいの気持ちであった。

特に理由なんてないのである。

1つ言うならば、就職活動をしていても働くことの本質がよく解らず原初的で純粋な労働を体験してみたかったということくらいであるが、そんなことを説明されても意味不明であろう。

苦笑いしながら「なんとなく。」

と答えていた気がする。

続く・・・・












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