オノマトペ4DX(湿度表現と杉浦日向子)
雨が降っていた。近場の空き地を通りかかる。そこはむき出しの地面だったはずが、いつの間にかビニールシートで覆われ土嚢が積まれていた。割と強めにシートが張ってあるのか、そこだけ雨音が「ぱあん」とか「たたたた」とか張りの強い音がする。聴いていて心地の良い音だ。シンプルに「つとつと」等でも良い気がするが、なんというかもっと木琴を叩いているような、タンバリンを振っているような風情が欲しい。でも、「ぽこぽこ」とか「しゃんしゃん」ではない。この音を聴いて、宮沢賢治ならどんなオノマトペを引き出してくるのだろう。きっとこの雨が降っている景色に加えて、温度までが体感できるような表現をしてくれるだろう。言うなら「オノマトペ4ⅮⅩ」みたいなそんな感じだ。
では「オノマトペ」に関する話をするのかと思えばそうではない。なにせ「オノマトペ」は奥が深く、私ごときの知識量では太刀打ちできるような代物ではないからだ。よって、今回は絵においての(言葉じゃなくて申し訳ない。先に謝るスタイル。)「4ⅮⅩ」の話となる。私の感覚の話なので「考えるな!感じろ!」的な表現が多くなるかもしれないがお許し頂きたい。
絵の中での温度表現と言えば、色彩における「暖色」や「寒色」と言ったものが最初に上げられるだろう。人間が持つイメージとしては「暖色」が多ければ「暑い」「暖かい」、「寒色」が多ければ「寒い」「冷たい」が基本となっている。しかし、これらのイメージはあまりに固定化し多用されることが多く、使用すれば誰にでも分かる有用さを持ち得ている一方、慣れ親しみすぎたイメージにより、実在感や新鮮味が薄れ、肌感覚としてその温度や風景を体感できることは少なくなっていると感じられる。
ではそこに一石を投じるものはなんなのか。答えは簡単「湿度」である。通常の温度表現を「3D」だとして、そこに上質な湿度表現を加えると「4ⅮⅩ」となる訳だ。特に日本人であればそれが顕著に感じられるかもしれない。何故かと言えば、日本は基本的に湿度が高い国であり、梅雨(高湿度)等に風情を感じることが、それこそ遠い昔から馴染み深い肌感覚として記憶の底に紡がれてきているからである。
さて、ここでは上記の事から、絵画やイラストにおける色を使った湿度(温度)表現ではなく、あえて漫画の白黒表現における湿度(温度)表現にこだわりたい。そもそも、何故日本人の情緒の話をしたかといえば「杉浦日向子」さんの作品について話したかったからでもある。
例えば、夏の風景や雨の風景が描かれた作品を技術面から見ている時、多少絵を描いている人間であれば「こういう描き方をするとこういう表現ができる」「こういう表現をする時にはこういう描き方をする(している)」という風に割と「表現の仕組み」を発見しやすいであろう。(勿論例外も沢山ある。)
しかし、「杉浦日向子」さんの作品群は「表現の仕組み」を越えて日本人に刻まれたDNAの様なものに訴えかけてくるのだ。彼女の絵を技術的に見る事は難しくはない。表面的に見れば「浮世絵」だとか「北斎」とかそんな言葉が浮かんでくるだろう。けれども、そんなものはほんの上澄みで、その下にはさらに底の知れない表現技術がある。私が「訴えかけてくる」と表現したのは、その底の表現技術に辿り着く前に、「馴染み深い肌感覚」=「感性」に飲まれてしまうからだ。本来、表現の技術を見るときは冷静でいなければならないのだが、彼女の絵はそれを許さない。余りに体に馴染み「居心地」が良過ぎるのだ。故に、彼女の絵が何故「4ⅮⅩ」なのかと問われると技術的なことは一切分からないとしか言いようがない。それこそ「考えるな!感じろ!」である。(やったね!伏線回収だ。)
「二つ枕」の蝋燭の火のゆらめき、「百日紅」の河原や火事の様子、「東のエデン」の森の中や田園風景、どれもその場を体感させてくれるが、中でも私には「合葬」のとある見開きページが「湿度(温度)表現」の視点から見た情景描写の完全な極致だと思っている。元々漫画表現の歴史においても重要な見開きであるから、当然と言えば当然なのだが是非見て頂きたい。(偉そうに語っていますが、杉浦日向子さんが大好きなだけでございます。ファンです。わはは。)
さてさて、それでは「4ⅮⅩ」もお分かり頂けたということで、雨もやんでまいりました。書くこともないってぇことで、そろそろおいとましましょうかねぇ…なんてね。それらしくしてみました。
ではでは。
「サラバ」
「ばひーん」
(わかるひとにはわかるオノマトペ)
2022/10/22 一井 重点
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?