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宗教2世の夫と暮らす私が「宗教2世でもしっかり生きて、生活してる方はたくさんいる」に感じるもやもや

少し前にあるお笑い芸人の方が言っていたこの言葉が、私の中でずっと心に引っかかっている。

正論だけど…

我が家は夫が新興宗教2世だからこそ、その言葉自体はむしろ正論であり、間違っていないことはよく分かる。
育った環境のために苦労はあったと思うが、夫はしっかりと分別のつく大人に成長し、しっかりお金を稼ぎ納税し、家庭環境を言い訳にすること無く生活している。

そして私自身も、とある宗教の信者である祖母と叔父(宗教2世)と18歳まで生活をともにしていたからこそ、家族にそういった人がいる夫の苦労は全てとは言えないが理解できる部分もある。

だからこそ、
「宗教2世でもしっかり生きて、生活してる方はたくさんいる」
は本当にそのとおりだし、私もそう思う。

ただ、どうしても引っかかる。

だって、しっかり生きて生活している夫が、
「自分の心を殺すことで周囲の平穏を保っている」
という現実を嫌というほど見てきているからだ。

平穏を保つ代償

当事者が「私は頑張っている、あんな犯人と一緒にしないでくれ」の意図で言うのはわかる。本当に頑張っていると思う。
しかし、同じ言葉でも発言したのが外野というだけで、「他の人は辛くても耐えて頑張っているんだから」と私には聞こえてしまった。(彼が実は新興・カルト宗教2世だったら、本当にごめんなさい)

これが違和感の正体だった。

たぶん、発言した本人はしっかり生きている当事者たちを称えたり励ましたりする意図だったと思うけれど、夫を近くで見ている私はどうしてももやもやしてしまったのだ。

我が家の夫が、そういった他人の発言をマイナスに受け取りやすいせいもあるかもしれないが、自分を押し殺すことに慣れている人ほど「やっぱり自分が我慢すればいい」と思ってしまいそうな、とても危うい言葉だと感じた。

どんなに優しい人間であっても負の感情はあるし、それを吐き出すことはとても大事なことだと思う。
しかし、他人から「頑張っている人もたくさんいる」言われてしまうと、当事者は「私が我慢して頑張れば」と苦悩をより表に出しにくくなる気がする。
辛さの受け取り方や許容度は人それぞれだから、こういった発言を外野がするのは、問題の解決にもならないどころか、闇を深める気がして少し怖い。

「嫌なら別れてくれて構わない」と泣きながら私に宗教のことを打ち明けてくれた夫。
そんな夫の苦悩を夫の家族はもちろん知らないし、夫はもう伝えることはないだろう。そして、うつ病で無職になったときですら実の親を心から頼れない夫の姿を見て、その問題の根深さを実感した。

夫は今は全くその宗教を信じていないので、本来であれば脱会して、誰にも気兼ねなく自分の意志で選挙に投票し、世界平和よりもまずは自分の病気が治ることを全力で祈ってほしいと思っている。だってここは日本で、信仰の自由が認められているのだから。

これを読んで「いやいや、お前やお前の旦那が弱い人間なだけだろう。やろうと思えばできる」と思う方もきっといるだろう。
でもこれが簡単ではないのが、宗教2世の現実なんだと思う。

見ないふりはもうやめたい

今回、こういった形で宗教の問題が表面化したことはとても残念だし、人を殺めることは絶対にしてはいけないことだ。

ただ、もしもっと前から宗教の話題をタブー視せずに、苦しんでいる子どもたちや家族から目をそらさずにいたら、今回の事件は起こっていなかったのかもしれないと思ったりもした。タラレバでしかないけれど。

「しっかり生きて、生活してる方」に外野の私たちができることは、負の感情や苦悩を安心して吐き出せる場所となったりすることなのかなと。

とりあえず、今ストレスで体調不良真っ只中の旦那さんには「しっかりしようとしてなくていい。だってもう充分あなたはしっかり生きてるじゃん。そんなあなたも含めて大好きだよ」と朝起きたら伝えようと思う。

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