受験を終え卒業式になった
確かまだ合格発表ではない中で、卒業式だったと思います。
私の行っていた公立進学校は、みんな受験でやられてて
全身アレルギーになったり、ガリガリの拒食症になったり
逆に激太りして、大学デビュー絶対無理やろ的な姿に変わったり
なかなかのドラマでした。
激太りした子は、どうしてもアナウンサーになりたいと、同志社という名前のところへ。
田舎モノなので、それどこにあるの?
通訳になりたい子は上智大学へ。それって東京?
エリは拒食症になりながら北海道大学を目指して
そして、私も県外の大学を目指している。
私たち田舎者女子は小さい頃から、地元の男性以上にいい人なんていない!と厳重に育てられているから
県外に出ていく女子というのは、
かなり、かなり、珍しく、
ぶっちゃけこの4人は目立っていました。
みんな、女子は地元の国立大学受けてダメだったら、国立短大、私立短大、、お決まりコース
それしかない。
何で県外?という感じでした。
ところでミヤコはどうしたのだろう。
気にはなっていましたが、声かけられずにいました。
合格発表の日、郵便での知らせしか、知る術がなく、一日中、ポストの前で待っていました。
確か弟と2人でした。
夕方、ブゥーンという郵便バイクが走ってくるのが見えて、ドクっドクっ
カタッ。
大学からでした。
封筒を切って中身を確認。
2. 14. 41. 96……。
めちゃ過酷な番号の飛び方にダメかも、と思いましたが
ありました!
その時の私を弟は、姉が宙に浮いたと、後々、表現していました。
その位、嬉しかった。
合格が確定してから、居ても立っても居られなくて、自転車で走り続けました。
興奮が治らないとはこの事。止める事が出来ない。この風景とお別れなんだ!と勢いよく自転車を漕ぎ続けました。
学校に報告して、その時は自分しか見えてなかったんだと思う。
ミヤコに電話しました。
ミヤコは地元の国立大学の看護科や、国立病院看護科を受けると風の噂で聞いていたから、どこかには引っ掛かっているはず。
県外の大学の看護科に受かった事、ミヤコはどこ行くの?と聞きました。
本当に無遠慮だった…。
ミヤコは私が受かった事に、おめでとうも、何もなかった。
酷く落ち込んだ声で、
「そうなんだ。実は私、どこも受けていないんだ。」
それは、進学校に通ってる私たちからしたら
うえ?!
という、事実でした。
後々、他の子から聞いたら、ミヤコは色んな看護学校に受験票は出した、でも、受験日は空席だったと。
みんなも心配していたと。
ミヤコは看護体験も2回ともボイコットしましたが、なんと、受験も全てボイコットしていたのです。
衝撃でしたが、よく考えたら、ミヤコの方が深く考えるタイプだったのかもしれません。
ミヤコも私もは看護師になりたい意志が、別にあるわけではない。
ただ、一家に産まれた女として、何かを果たさないといけない、田舎独特の考えに縛られていた、それだけだった。
しかし、進学校の後、どこも学校へ行かないという選択は、かなり稀で思い切ったことです。
ミヤコは見事に、何かを抜けていきました。