バカがバカであるために
4月2日(土)に開催するバカサミット。春だし、多くの人に来てもらいたいのでバカの話をする。
本当はバカでいたい
人って本当は、いくつになってもバカでいたいのだと思う。きっと、そのほうが人生楽しいし幸せだから。しかし、バカを続けられなくなる時期が誰にでもやってくる。その圧力を無視して跳ね除け耐え抜いてこそバカで居続けることができる。
無知、未熟さがバカの武器
人間的成長を遂げると自分のバカが少し薄まったような気になる。周囲の信用を得てしまうと「無知」「未熟さ」といったバカ最大の武器が使いづらくなる。しかし実際は自分のバカの持ち分は減っても薄まってもいない。ただ覆い隠しているだけだ。
バカがバカであるために
僕はアイスの活動をはじめる前は、何も持っていない「手ぶら」の人間で(今は片手にアイスを持っている)、今よりもずっと自由で、もっとバカだった。とはいえアイス評論家を名乗ってはみたものの、バカだからまったくアイスの評論ができていない。どんなアイスを食べても「おいしい」としか言っていないことに最近気がついた。(いや、周りの人にはよく言われてきたので「自覚した」が正解)約11年もアイスの活動を続けて、ようやく気付くあたり、やっぱりバカではないか。
バカもひとつの特殊能力
過去のバカサミットの中で、吉永龍樹さんと家入一真さんが「バカもひとつの特殊能力だ」と話していた。バカであることは「勉強ができる」「運動ができる」といった一般社会では除外されている項目だが「引きこもり力」や「バカ力」といったものも、ひとつの特殊能力として考えてみるとバカであることに少しは誇りを持てるようになる。
評価される基準を増やして「それぞれの違い」を認め合い、誰もが自分に誇りを持って堂々と生きられる世の中こそが健全であり、かつやさしい社会といえる。
先日MTGをした時、川田十夢さんが「世の中には良いバカと悪いバカがいるよね。」と話していた。良いバカって何だろうか。
バカがバカであることに誇りを持って生きていくためには、良いバカと悪いバカの違いを知っておく必要がある。その答えはバカサミットに来ればわかるかもしれない。
4月2日の青春!バカサミットでは、バカをテーマにした先進バカによるトークセッションが5時間繰り広げられる。
より優秀なバカになりたい人、眠らせているバカ力を取り戻したい人はもちろん、今後自分がバカであることに誇りを持って生きたい人にも参加してほしい。
同時に10年ぶりに会う先進バカの皆さまが、しっかりバカを貫いているのか(利口になっていないか)も確認したい。