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戯言。

もともと未来を想像する力がなくて、過去に縋りついていて、現在の欲求に基づいた行動しかできない人間なのですが、未来に対する不安感や期待感はいったいどこから、想像するから生じているのか、想像できないことに対するものなのか、どっちにしろ自分の行動は今に基づいていて、それはいつも喜びと罪悪感の同時存在で成り立っている。

自分をコントロールしてうまくいくものもあればアンコントロールな部分が実力を発揮する時もある。
それが昔はどちらを選択するべきかはっきりしていた(それが正解かはわからないけど、自分の中では決まっていた)けれど、今は全くわからない。
コントロールしようとしたときは自分の特性を無視しようとする逃げだと思うし、アンコントロールに任せようとしたときは自分を律せない逃げだと思う。
どっちを選べばいいのかはもう分からない。

自分が自分でしかないことを自分は十分に分かっているつもりだけど、他者からは思っている以上に私の中身が見えてないのかもしれないと思い始めてきた。分かってもらおうとする人に分かってもらえればいいとは思ってるけど、そもそも見えていないのだとしたら興味もなにもないよなと思う。それでも無理やり自分を見せようとするつもりはないけど、ちゃんと、自分の中身を外に出すことを人生の主軸にすることを忘れないでいたい。

余裕がないけれど、余裕がないときも深い人間でありたい。軽い人間になりたくない。軽いコミュニケーションを取っているときであっても、ちゃんと深さを前提としていたい。
同じ言葉でも、そのままに入れて取り出された軽い発言と、脳で漉された一言を一緒だと思っていたくない。

考えていたいし、優しくありたい。
好きでいたいし、好かれていたい。
ちゃんと認め合っていたい。

助けを求められたら助けたいと思っているのに、自分は自分から助けを求めることはできない。

弱さを認めたい。
弱さに正直でありたい。

今までどうにもならないと思ってきたこともどうにかなってきたから今もどうにかなるだろうと思うけど、今までどうにかなってきたから今回もどうにかなるという根拠はない。
だから毎回もがいているし、自分の中だけで解決しようとしていることが、大きくなって、入りきらなくなっても外に出すのは勇気がいる。

楽になりたいと思うけど楽がどこにあるかは分からない。

自分はずっと幸せだと思ってるのに、幸せになりたいと常に思っている。
「今」は幸せなんだと思う。ずっと。

ちゃんと、自分を分かってくれようとしている人たちを信じて、繋がれるように外に出していきたい。作りつづけていたい。
技術の無さを言い訳にしないで、批評家たちを恐れないで。

何も信じてないけど、自分の中身を信じていたい。中身を見てくれようとする人の心を信じていたい。自分も人の中身に入っていける深さを保った人間でありたい。

そうしたら殻をまとわなくても、生身のままで宙に浮いて、それでも怖くはなくて、それがそのまま自分と言える。はず。


寝る前の走り書き吐き出し戯言。

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