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日高理恵子 - 僕の好きな藝術家たち vol.6

好きな藝術家について書きたいように書いてみるシリーズ。その藝術家についてのバイオグラフィとか美術史的意義とか作品一覧とかはインターネットで他のページを参照してください。


大好きな詩人の長田弘と、日高理恵子がコラボレーションした詩画集『空と樹と』。

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長田弘の詩が読みたくて購入したら、日高理恵子の絵も素晴らしくて、長田さんの詩集の中でも特にお気に入りの一冊になった。

どんなときにも、ひとは旅をしている。何をしているときも、旅をしている。旅をしていないときも、旅をできないときでも、旅をしているとき。
(略)
思いだすことも、旅することだ。

「空なるもの」

日高理恵子の絵を観たのは広島だった。まだリニューアル前の現代美術館、静かな雨の中一人訪れた時のこと。日高理恵子の絵が展示されていることは知らなかったので、びっくりした。大きな絵だった。

本で観るのとは違う、迫力。鋭く尖った木々の枝は、触れもできないのに、痛々しく突き刺さるかのようで。

本はどちらかというと長田の詩がメインだけれど(分量的にも)、大きな大きな日高理恵子の絵は、圧倒的な存在感だった。

カンバスの白に枯れた枝を描く墨の色。

白い 枝
ほそく 痛い 枝
わたしのこころに
白い えだ

「白い枝」八木重吉

構図を考えれば木々の枝の背景は空なのに、真っ白な地は、八木重吉のこの短詩を思い起こさせもする。

あまりに衝撃だった日高理恵子との邂逅は、その頃親しくなった広島の女性に長田と日高のこの詩画集を贈ったこととともに、忘れがたい記憶だ。

この詩画集を開くたびに、あの人のことを思い出す。

思い出すことも、旅することならば、日高の絵を思い出すたびに僕は広島のあの小高い山にある美術館へ旅をして、あの人のことを思い出すたびに、あの人の元へ旅をしていることになるのだろうか。

美術館にはいつか再訪できるだろうけれど、もうあの人の元へは二度と訪うことはできない。

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