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萩原朔太郎『恋愛名歌集』

萩原朔太郎(1886-1942)は、日本語の詩の精髄は、古典和歌にこそ宿ると論じた。さらに、抒情詩中の抒情詩は、恋愛歌とした。詩人は、『万葉集』『古今和歌集』から『新古今和歌集』までの歌集から、抒情、韻律に優れた歌を選び、評釈を付ける。近代詩の巨人による和歌の詞華集にして、独自の古典文学論(解説=渡部泰明)。

後半に「総論」として、万葉集、古今、新古今を中心とした歌集についての解説があり、そちらを先に読んだほうが分かりやすいと朔太郎が「解題一般」で述べている。実際その通りなので、先に総論を読むべきだろうと思う。

歌は音楽(音韻)と内容とが調和し不離であるべきという朔太郎は、単に和歌の主題について語るだけでなく、音韻についてもローマ字書きを添えて詳しく論じる。

その音韻に関する理論の正当かどうかは分からないけれども、詠むという行為は発声を伴うのだから、当然、音としての巧劣もあるべきなんだろう。

主題の面ではタイトルにあるとおり、恋愛こそが詩歌の主たるテーマであるべきという。歌い込まれた恋愛についての情熱、諦念、寂寥、思慕の想い、それらを見事に掬い上げていくところ、まさに朔太郎の本領発揮、グイグイ読ませる。

万葉歌と新古今を日本和歌史の最高到達点とし、古今にはかなり手厳しい評価をしているところも、面白いし、説得的。

大伴旅人を虚無的・観念的哲学詩人、柿本人麿を万葉歌人中第一の情熱詩人、山上憶良を性格的悲劇詩人と、有名歌人の性格を見事に描写するところもさすがの洞察力と感心させられる。

新古今においては式子内親王を非常に高く称揚している。

柿本人麿に比べて“気宇が小さくいじけて居”る、と点の辛い描写もある西行についても、式子内親王と並び新古今圧巻の詩人と褒めている。

それらの各歌人への評価の根拠となる、個々の作品についての論評がとにかく面白く、まさに和歌を知る上で必読の名著。

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