李禹煥『時の震え(新装版)』

作品を通じて、凝固した空間の塊の中に人間と響き合う世界を組み立てる現代美術作家が、絵筆と鑿に換えてペンをとる時、その筆致は、あまりに人工、清浄、整然に過ぎた都市に罅を入れ、あまりに透明になった人間の奥底に潜む野生を引きずり出す。
刻んできた時の狭間をわたる自伝的エッセイ集。

『出会いを求めて』が、李禹煥の作品と即応するような、張り詰めた美術理論書だったのに比して、この『時の震え』は身辺雑記を中心に、猥雑で臭みのある人間・李禹煥を剥き出しにしていて、いささかたじろがされる。

アーティストもまた一人の人間である、というアタリマエのことをアタリマエに記述した、ともとれる。

時折見せる詩情豊かな憂いの表情や、韓国と日本という二つの国家に引きずり回された李の複雑な国家観・民族観など、シリアスな文章も多いのだけれど、読み終えると、どちらかというとオッサン臭い李禹煥像が強く残る。

それってセクハラ、ルッキズムやろ、と突っ込みたくなる記述も多い。それを李禹煥の作品の到達度を盾にスルーするのも嫌なので、敢えて指摘しておく。

そういう欠点もあるにせよ、あのような(李禹煥の作品を知らない人はまず彼の作品に触れてからこの書を手に取ってもらいたい)作品を作るアーティストの人となりや横顔が伺えて、可笑しい。

何がシリアスで何がふざけているのか、そういった自明と思われる境界線をユラユラ揺らすという意味では、李らしい書物と言えないこともないのかも。

面白かったけど李禹煥ファン以外にはあまりおすすめではないし、そう何度も読み返すような気もしない一冊。

しかしみすずからの再刊、装幀は素晴らしい。書架に映える。

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