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Just a perfect day!

遠く携帯が無かった時代から来た僕は思う、確かに今はとても便利で痒いとこまで手が届く、いやそれ以上に、お尻まで自動でキレイにしてくれるくらいお節介な親切さだ。親切か、いや親切でもないな、求めてもいない押し売りは、むしろ恐喝に近いのかもしれない。利便だけを押し付けられ、自動解析された情報で買え買えと迫ってくるのだ。

これが、未来だったのか、万博で心躍ったあの未来像から想像だにできない時代に生きている。
鉄腕アトムも飛んでいないぢゃないか、戦争や貧困や暴力は野放しぢゃないか、格差が蝕み、搾取される側は奴隷のように働き続けるんだ。そんな嘆きは、愚痴や文句へと形を変え、敗者や弱者と罵られ、劣等感は自殺者を増やして膨れ上がり、絶望病が蔓延していく。

なんかSF小説とかで予見された世界観ではないか。
サイバーパンクが現実を喰っていく。
人が想像したコトは現実化されるという、想像が錬金術のように世界を創造していく。

僕らは、その真っ只中に放り込まれたのだ。

突然にワープしてきたワケでもなく、淡々と、従順に、徐々に、整備された道を、安全と安心の名目で、歩かされ約束された地へ追い込まれている。
まるで牛飼いに追い込まれた家畜のように。

youtubeはあらゆる種類の動画や音楽を無料で提供し、amazonはすべての商品を網羅し宅配してくれ、googleやYahoo!は情報をタダでくれる、もちろん其れに見返るナニかを抜き取られての提供ではあるが、それは暗黙の了解だ。

それが経済活動というものだから。

そうだ、経済だ、ありとあらゆる事柄が経済に巻き取られていくんだ。
生産、流通、交換、分配とその消費、蓄積、人間の生活はそれらすべてを循環させ熱量を帯びていく種類のものだから、経済活動なしには何も生み出せないどころか死んでしまったも同然である。
買えば捨て、使えば無くなり、喰えば糞をひねり出すのであった。

これが現状だ。

よく思うのだけど、この星(宇宙でもいいけど)がビックバンによる一点の爆発のエネルギーで膨張し続け、いつしか収縮してしまうだろうといわれているが、僕らは地球の資源を消費し、また循環し、そしてそれは質を変え、どこかでバランスを取っていて、増えもしなければ減りもしない、そんな魔法のような一時を享受しているが、やがてつい果てる時を迎えるんだろうなと、その絶妙な均衡は、どう崩されてしまうのだろうか。

お察しの通り、身も蓋もない話である。
もしや容れ物もないかも知れぬ。

携帯電話など、未来の魔法だと思っていた子供時代から、今や何でもないことのように使っている自分、インターネットが毛細血管のように世界を駆け巡り、以心伝心を成し得る時代、それでも世界はまだ先を求め、貪欲に、飽食に、未来を喰い続ける。

過去の過ちも放置したままに。
【archive】2017年2月10日(FB)

現実の生命現象に対する喜びをなくしてしまえば、われわれの前途にどういう未来を用意することになるだろうか。
めぐりくる春を楽しめなくて果たして省力化されるユートピアで幸せになれるのだろうか。
機械が与えてくれる余暇を何に使うのだろうか。
私はかねがね考えているのだが、われわれの経済的政治的問題が真に解決されるならば、生活は複雑になるのではなくて簡素になり、最初の桜草を見つけて得られる喜びの方が、ジュークボックスの調べに合わせてアイスクリームを食べる楽しみよりも大きく思われてくるのではなかろうか。
木や魚や蝶やひきがえるなどに対する幼少時代の愛を保持すれば、平和で穏やかな未来が到来する公算がいくらか大きくなるであろうし、鋼鉄とコンクリート以外の何物も賛美すべきではないという教義を説けば、人類には憎悪と独裁者崇拝しか余った精力のはけ口がなくなる確率が、いささか高まるだろうと私は思う。
人間はぬくもりと、交際と、余暇と、慰安と、安全を必要とするのである。
と同時に、孤独と、想像的な仕事と、驚異を感じる感覚も必要なのだ。
この事実を認識すれば、あるものが自分をさらに人間的にするか、非人間的にするかというただ一つのふるいにかけて、科学や産業主義の成果も、選びながら利用することもできるだろう。
そうなれば、のんびり休息をとり、ポ-カ-と酒とセックスを一度にやるのが最高の幸福などではないこともわかるはずである。
そして、賢明な人たちが進行しつつある生活の機械化に抱いている本能的な不安も、単なるセンチメンタルな回顧趣味ではなく充分根拠のあるものだということが、わかってくるだろう。
というのも、人間が人間にとどまるためには、生活の中にシンプルなものを多分にとどめておく必要があるのに、現代の発明-特に映画、ラジオ、飛行機-といったものの多くは、意識を破壊し、好奇心を鈍らせ、だいたいにおいて人間をますます動物に近づける傾向を持っているからである。
自由とは、人の聞きたがらないことを言う権利である。
 -ジョージ・オーウェル