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方言が恥ずかしいと感じるのは実は歴史のせいだった

東京で「彩ちゃん方言強いね」と言われたんじゃけど、私は標準語話しとるつもりだったんよ!なんか無性に恥ずかしかったんじゃが、どうやら「方言=恥ずかしい」という価値観は歴史のせいだってことが分かったんよ。

びっくりせん?

ということで、書き言葉では読みにくいので、広島弁を押さえつつ説明していくよ。


方言が「恥ずかしい」と感じる歴史的な背景

かつて、日本各地にはそれぞれの地域で話される多様な方言が存在し、特に江戸時代までは「方言を話すことが普通」でした。
しかし、明治時代以降、「方言=恥ずかしい」という感覚が生まれ、広がる。

これは、日本の「標準語政策」と、社会の変化によるものが大きく影響しています。


① 江戸時代までは「方言が普通」だった

江戸時代以前は、各地域で異なる言葉(方言)を話すのが当たり前だった。
武士や公家の世界では「京都の言葉」が上品とされたが、庶民の間では方言が主流。
旅や交流が少なかったため、方言を気にする機会も少なかった。

・藩政が敷かれており、他地域への行き来が簡単にはできない。
・山や川で物理的な隔たりがあると、言語も変わる。

この時代には、「方言が恥ずかしい」という感覚はほとんどありません。


② 明治時代の「標準語政策」

明治政府は国民の統一を目指し、「標準語(共通語)」を定めた。
東京の山の手言葉を基準に「標準語」を作り、学校教育で推奨。
方言を話す子どもは「訛り(なまり)がある」として矯正されることもあった。

この標準語政策により、地方の言葉は「公式な場で使えないもの」とみなされるようになり、次第に「方言は恥ずかしい」という意識が広がりました。



③ 大正・昭和期の「方言札(ほうげんふだ)」

特に地方の学校では、「方言を話したら罰を受ける」というルールがあった(!)
「方言札」と呼ばれる木札を首にかけさせられ、方言を話した生徒は罰を受ける。
「標準語を話せない=知識や教養が足りない」という偏見が生まれた。

この教育により、方言を話すことに対する「恥ずかしさ」や「劣等感」が植え付けられた。


④ 戦後のメディアと標準語の普及

テレビ・ラジオの普及により、標準語が全国に広がる。
都会(特に東京)の言葉が「洗練された言葉」として認識される。
方言は「田舎っぽい」「野暮ったい」と見られることが増えた。

戦後、メディアを通じて標準語が全国に浸透し「方言=田舎っぽい」というイメージが定着した。その結果、「都会で方言を話すのが恥ずかしい」と感じる人が増えた。

🧐松嶋菜々子の主演ドラマ『やまとなでしこ』でも、富山弁バリバリのお父ちゃんに松嶋菜々子がブチギレるシーンも印象深い。


⑤ 現代では「方言ブーム」も

近年は「方言女子」「方言男子」といったブームもあり、方言が魅力的とされることも。
テレビやSNSで地方の言葉が取り上げられ、方言の良さが見直されつつある。
ただし、ビジネスや公的な場では依然として標準語が求められることが多い。

方言は一時期「恥ずかしいもの」とされたが、近年では「地域の個性」としてポジティブに捉えられる傾向も出てきている。

広島出身のperfumeがかわいく広島弁でおしゃべりしてくれるおかげで、広島弁の任侠っぽさは薄れて”カワイイ”地位を得た。



なぜ「方言は恥ずかしい」と思われるようになったのか?

📌 江戸時代までは方言が普通だったが、明治政府の「標準語政策」により、地方の言葉が「劣ったもの」とみなされるようになった。
📌 学校教育で方言が矯正され、「方言札」などによって「方言=恥ずかしいもの」という意識が植え付けられた。
📌 戦後、テレビやラジオの普及で標準語が広まり、方言が「田舎っぽい」「都会的でない」と見られることが増えた。
📌 最近では「方言ブーム」もあり、方言の価値が再評価されつつある。


方言は、日本語の多様性そのもの。

メディアの与えたイメージは後からのもので、元々は政府の言語政策によるものだったと思うと、「ほ〜〜」ってなりますよね。
私たちの価値観って、結構歴史的な出来事がきっかけなことも多いのでしょう。

方言がたくさんあるのも、日本語が多様性を受け入れてきたからこそ。

ちなみに、広島人は面倒臭いことがあると「たいぎぃ!」と言います。
「大義だった」から「大変」「面倒」なことを表す表現に変わっていったと考えられます。

あなたの地方でしか通じない方言はなんでしょう?


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茨木アヤコ|文章コンサルタント
サポートしてくださるんですか?ありがとうございます😍💖息子の大好物のバナナを買ってきます🍌

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