辰年神社巡り(3.大甕神社編)
どうも、ジオ子です。
辰年神社巡りの第3弾は、以前から注目していた大甕(おおみか)神社。
神社の周辺にある岩山。これがかなり古い(カンブリア紀の火成岩)らしいんです。
阿武隈高地の南端であり、関東平野の北端と接する場所となっています。その年代の差はなんと5億年!不整合もいいとこです。(笑)
拝殿前を右に行くと宿魂石があります。
この宿魂石はかつてこの一帯を治めていた甕星香香背男(みかぼしかかせお)が化身したものだという伝説が残っています。
※甕星香香背男は別名「天津甕星」、星の神様だそうです。
日本書紀にはこの神様のことが書かれています。
経津主神と武甕槌命神が葦原中国(あしはらなかつくに)を平定するときに、この地で服従しなかったのがこの甕星香香背男。そこで、倭文神(しとりがみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと)に討伐を命令しました。甕星香香背男は大きな石になって抵抗しましたが、建葉槌命がこれを蹴り砕いて討伐したということです。
3つに砕けた石は現在の東海村石神(石神社)、城里町石塚(風隼神社)、笠間市石井(石井神社)に飛び散ったそうです。
面白いのは、この場所の地名が「おおみか町」で漢字だと「大甕町」、そしてそばには「石名坂」の地名。さらに大甕神社の正式名は「大甕倭文神社」。石に関する地名と討伐された神様の名前や討伐した側の神様の名前が残っているんですね。
ちなみに倭文神である建葉槌命は20㎞ほど西にある静神社(常陸国二宮)の主祭神です。すぐそばでにらみを利かせているみたいな気がしちゃいますね。
ところで、大甕神社の境内にはこんなキレイな鶏が闊歩していました
東天紅という種類の鶏で、鳥小屋のところの案内書きには「古事記の”天岩戸”に登場する長鳴鶏として有名」とありました。岩山がご神体の神社と岩戸を開けた鶏、なんとも面白い組み合わせです。
そのほかにも、境界石(別名:縁切石)なんていうのもありました。
また、大甕神社拝殿の手前には「知足のつくばい」というものがあります。
真ん中の四角を口にみたててあわせると「吾唯足知」の四文字になります。
「吾れ、唯(ただ)足るを知る」と読むそうです。うむ、深いなぁ。
大甕神社、ジオパーク好きにも星好きにもなかなか興味深いものがあります。
ぜひじっくりと参拝してみてください。