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インターナショナルスクールの時代がやってくる①

このような場で政治の話題をあえてしたいわけではないが、つまるところ、自分の保身しか考えていないような政治家たちのかけひきを見ていると、少なからず悲しい気持ちになる。

能登の人たちが不憫でならない。

国のサイズが違うので比較するのはフェアでないかも知れないが、私が良く知るニュージーランドは、以前、クライストチャーチで銃の乱射事件が起きた直後、ひと月以内に「銃規制法案」を成立させた。

ひとたび、国民が危機的な状況に置かれた時、何をすべきかを超党派の重要事項とし、まずは迅速に「正しいこと」を行える、
四の五の言わずアクションを起こせるニュージーランドという国をうらやましく思う。
せめて日本もそういう国であってほしいと私は思う。予備費だろうが、補正予算だろうがとにかく復旧を最優先してあげてほしい。

さて、今回のテーマ。
「インターナショナルスクールの時代がやってくる」
パートOneだ。1回ではとても書き切れない。

もともとインターナショナルスクールと言われるものは、日本で働く外国人の子息のためのものであり、その位置付けは日本以外でも同様であった。

日本国籍をもった子どもは、日本の学校教育法で定められた学校に行きなさいということになっており、また、いかないと色々と不利が生じる仕組みにもなっている。

例えば、インターナショナルスクールに行くと、高校受験の時に内申点がないということになってしまったり、高校も一般的なインターでは日本の大学入試を受けるための高校卒業資格が得られないため、日本の大学を受験したい場合は最悪、かつての大検、今は「高校卒業程度認定試験」と言われるものをクリアしないと受験が出来ない。(とはいえ、さほど大変な試験でもないらしいが)

ただし、インターナショナルスクールでもCISと言われる認証をとっている学校についてはその卒業資格をもって日本の大学が受験できるようになっており、
また最近はIBの卒業資格も、IB入試として受け入れている大学がどんどん増えてきた。

https://ibconsortium.mext.go.jp/about-ib/entrance-exam/

したがって、インターナショナルスクールというものと、日本の教育制度はまだまだ互換性がないということになる。

国際バカロレア(IB)の卒業資格は、その点、世界の多くの国で共通に認められるものとして浸透してきており、
いずれ日本の大学もさらに多く取り入れるようになれば、日本の高校卒業資格よりも進学の選択肢を広げることになるのは間違いない。

一方で、インターナショナルスクールが「オールイングリッシュの教育」ととらえている保護者も多い。
完全に間違いとは言わないが、インターナショナルスクールの定義を別に「オールイングリッシュの教育」と誰かが決めたわけでもない。

それを言われるとうちは英語の量は一般的な学校より多いものの、生徒の大半が日本人であるし、イングリッシュイマージョンでもないので、
インターナショナルスクールと名乗ってはいけないということになってしまう。

少なくとも私の意図するインターナショナルスクールの理念とは、簡単に言えば
「国際的視野を持った学校であるかどうか」である。

英語を学ばせることも国際的視野を持つことにつながるが、逆に日本を知る、日本人としてのアイデンティティーを知ることも国際的視野につながると考えている。

これはかつて世間を騒がせた森友学園の愛国教育とは違う。
ドイツの文豪ゲーテが
「外国語を知らないものは自分の国語も知ることが出来ない」
と言ったように、日本の外に目を向けることで日本のことをより深く知るということが出来るという考えと、ひたすら日本が素晴らしいと洗脳することはまったく異なる。

国際的な教育機関としての規準を定めているIBを取り入れる学校の思惑の中には、そういった幅広い意味における国際的視野を持てるようになりたいという考えがある。

そしてそのような教育を受けさせたいと思う親が増えつつあるのは実は日本だけではなく、世界中のトレンドにもなっていると言えるだろう。

世界がボーダレス化している。

私が幼い頃、日本で外国人を見かけることなど稀なことであった。
外国人を見つけたら「ガイジン、ガイジン」と指をさして追っかけたりしていたものだ。
今は行くところにいけば、ほとんどが外国人。中国人の教育移住なども、どんどん増えてきて、東京の公立小学校も、インターも中国人だらけだとも聞く。

インターネットの普及も手伝って、色々な文化価値観もグローバル化している。これは世界規模で起きている現象だ。

日本は人口がこの先どんどん減少していく中で、どんなビジネスも日本国内の需要だけで食べていこうとするのはますます厳しくなる。
いかに外貨を稼ぐのか、いかに人口の勃興する場所でビジネスをするか。

我が子が生きる時代というのはまさにそういう時代、ではそれに備えた教育を受けさせておきたいと思うのは大抵の親の目線であるはずだ。

ところが日本の学校教育は、そういう時代に合う内容に変わっていっていない。
「基礎学力」という名の読み書きそろばん重視の教育が、人生を育んでいく上の普遍的な力であることを信じ続け、国際的視野を育むための内容が足りていないのだ。

さらには教員の働き方の問題や、増え続ける不登校児童の対応、モンスターペアレンツ対策などで、教育改革どころではない。現場の先生たちの責任でもない。

そして国際的視野を育む教育というのは、必ずしも英語教育だけではない。
目指して向かっている方向性、ビジョンの話で、富裕層を中心にそれら日本の従来的な学校教育に不安を感じている人たちが
日本人でありながら、インターナショナルスクールを選択するようになってきているのだ。

次週の回では、日本のインターナショナルスクールにはどのようなものがあるか、また海外ではどのようにインターナショナルスクールが広がってきているかをお話しすることにする。

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