空港にて思う
空港が好きだ。
岐阜から上京して、しばらく大学生をしていた頃は、よく理由もなく成田空港に行っていた。
別に飛行機に乗る予定があったわけではなく、ただ単に行って、展望デッキで滑走路を眺め、気に入っていた中国料理のレストランで「あんかけ焼きそば」を食べて帰ってくるだけだ。
楽しそうに搭乗ゲートに入っていく人たちや、飛び立つ飛行機を眺めながら、自分も早くどこかの国に行きたいと思っていた。
飛行機に乗る予定もないのに、なぜかパスポートもポケットに毎回しのばせていた。私の妄想癖は今に始まったことではない。
当時、日本はバブルの真っ只中で、世の中全部が浮かれている雰囲気だった。さまざまな都会のノリに気後れするばかりの自分は、もう早々に大学を辞めようと考えていたが、そんな折、テレビでルーマニアの政権転覆が起きたニュースをみた。
当時のルーマニアは「チャウシェスク」という独裁者が君臨し、国民は食べ物もろくにない苦しい生活を送っていて、それがある日「人民解放戦線」と言われる民間人が武装蜂起をして、独裁者の率いる秘密警察と戦い、国を奪い返したのだ。
その人民解放戦線に参加をし、人々の自由のために戦って、命を落とした若い兵士たちが、実はその時の自分と同じ年齢であることを知り、ショックを感じた。
そんな折、ソビエト連邦崩壊の流れの中で、ベルリンの壁が崩れ、分断されていたドイツの人々が抱き合って大騒ぎしているニュースを見ているうちに、自分はそこに行かなくてはならない、行って世界の歴史が変わるのを体感したい、そう強く思った。
今思えば、何の計画性もない、実に衝動的な行動だった。
大学を辞めるというと、父は激怒し、母親はうろたえてとりつく島もない感じで、大勢の大人が私を止めようと必死に説得しにやってきた。
確かに迷いもあったが、結局自分は友人たちに公言した通り、片道切符を買って空港に向かった。
数十人の友人たちが見送りに来てくれ、涙を流して送り出してくれた。
思えば、もう35年前の話だ。
当然のことながら、当時はインターネットなどあるわけもなく、海外に行くというのは、当分の間、友人や家族とも会えない、電話をしようにも1万円で数分しか話すことが出来ないような、そういう時代であったから、今の若者からしたら「そんな大袈裟な」と笑うかも知れないが、当時、海外に出ていくというのはそういうものであったのだ。
その後の身の上話は、また興味を持つ人がいたらそのときにということにして、とにかく、私にとって、空港という場所は、自分のこのおかしな人生が始まったスタート地点であるという話。
たかだか30年、されど30年・・・
世の中は本当に様変わりした。
平安時代は400余年続いたというが、その頃に生まれた人が、人生が終わるまでに経験した変化と、我々のそれ、また今生きている子どもたちのそれはまったく違う。
変化のスピードは加速度的に増しているのだ。
30年前を知る私からしたら、海外にいても日本にいるのと変わらず、リアルタイムで情報を得たり、友人や家族とビデオ通話が出来たり、地図を持たなくても、地図アプリが世界のどこへでも連れて行ってくれる、そんな時代が来るなんて予想だに出来ないことであった。
長い長い人類の歴史を引いて見てみれば、このものすごい変化が起きたこの30年など本当に点のようなものだ。
少し話がそれるかも知れないが、先日、細胞の研究をしている大学の先生と話をする機会があった。
実は、すでにもう、DNAを組み替えるテクノロジーは相当進歩しており、将来は人が生まれる前に遺伝子を組み替えることで寿命をコントロール出来るようになることが考えられるらしい。
人類は神の領域に足を踏み入れつつあるのか・・・
その手の話は果たしてサイエンスフィクションの世界のことか現実の話か、あれこれ思いを巡らせてもわけがわからなくなるだけだが、
ひとつ言えることは
変化の真っ只中にいる時はそれに気づきにくいが、一定の時間を経て振り返ってみるとその大きな変化に気づくということだ。
多くの人が、
『20年先の未来を生きる子どもに教育として与えるべきことは、今までと同じでいいはずがないだろう』
そう考えている。
良い例が日本の英語教育だ。
私の周りだけでも、どれだけの人が「自分も英語が話せたら・・・人生が変わっていたかも知れない・・・」そう嘆いていることか。
うちの教師たちですら、英語が堪能であれば、専門知識を身につけたあと、海外の学校で働くチャンスも得られるし、英語のコミュニケーションに難がなければ、海外の教育者から色々な情報や学びを得ることが出来る。
「英語を学んでおけば良かった・・・」
でもそれは果たしてすべて本人たちの責任なのか?
みんな真面目に学校に通い、言われたテストや課題に必死に取り組んできた。それなりに英語というものに時間を費やしてきた。
その努力は一体なんだったのか・・・どう考えても、学び方が悪かったとしか言えないのではなかろうか・・・
私の学生時代から多くの年月が過ぎ、世界のありようがこれほど様変わりしているこの時代、小学校高学年で若干の英語の導入は始まったが、英語の学び方は変わらないままだ。
私の友人の息子が通う商業高校は、「簿記検定」に合格するべく授業が組まれているが、親は、「果たしてそれがこの先役に立つ資格なのか、もっとデジタルスキルを教えてほしいのに・・・」と嘆く。
冗談ではなく、国が国民や植民地などで与えた損害について、首相や大臣が公式に謝罪をすることがあるように、文科大臣は国民に、「我々の考えていた英語学習の手法は的を得ていなかった」と発言するべきではないのか。
文科省や教育委員会にも責任はあるが、今の日本の教育を「このままでいい」、「変えてほしいけど変わらないのは仕方がない」そうあきらめている親たち、世間の大人たちにも責任がある。
未来の世の中のありように思いを巡らせることが出来る人は、
「このままの人材育成では日本という国が没してしまうのではないか」と、そう考えるのだ。
今、うちの学校に短期留学をしているブラジル人家族の出迎えで空港に来ている。
彼らはインターネットでうちのウェブサイトをみつけ、娘に日本の教育を経験させたいと連絡してくれた。
ひと昔前ならあり得ないことだ。
日本を訪れるたくさんの外国人で到着ロビーは溢れかえっている。
時代はどんどん変化している。
本当に日本の子どもたちの未来を憂うなら、我々大人が今やるべきことを真剣に考え、行動を起こさなくてはならない。
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