俺と僕と私のアイデンティティの話
俺と僕と私と。
……我?某?余?――知らない奴らだ。
大体1年に1回くらいのレア度で人から聞かれることがある。
「案山子さんって何か一人称ころころ変わりますよね」って。
その通り。その通りだ。
全くもってその通りだよ。
しかもこちとら100%意図的にやっている。
おまけにこの事実に気付ける人は中々に鋭いし、私の事をよく観察している人なんだと思う。
学生時代にお世話になった先生がいる。
元木先生(仮名)としておこうか。国語(現代文/古文)の担当で、部活の顧問(当時は演劇の裏方をやっていた)でもあった。私のこの”一人称の使い分け”は、元は彼から教わり、倣い、そして現在に至る。
普段の様子、それこそ教科書の内容から合間にはさむコーヒーブレイクに至るまで、元木先生が授業1コマ中に発した言葉を一言一句聞き漏らさずに発した一人称の回数だけをそれぞれ計測すると、『俺5、僕12、私2』とかだったりする訳だ。※ちゃんと授業受けてたのか?とかツッコんではいけない。
最初にその事に気付いたのは当時同じクラスの誰かだったと思うが、そいつがその話をして以来、日を追う毎に元木先生の一人称が気になって仕方なく、とうとう本人に直接聞いてみたのだった。
元木先生曰く、やはりその時の主観や内容によって変えているのだという。
例えば教師としてではなく一個人として、男性として何かものを言う時には”俺”を使う。
逆に公人としての立場であったり公平公正かつ客観的に出る場面、あるいは相手に対して丁寧に誠実に話をしたい場合には”私”を使う。
それ以外は基本的には”僕”だとか。
純粋に、ある一定の法則・考え方に則って意図的に話法をコントロールするというのは面白いなと思った。
……というか、「あ、それパクろ」となった。
それ以来、人とのコミュニケーションにおいてもうかれこれ10年以上、(言うなれば)元木流を実践し続けている。
※Note上だと中々難しいけどね……。
付け加えれば、こうした何らかの経緯で特定の言葉や言い回しを好み自分自身の持ち技にするというのは、誰しも往々にしてあると思っている。機会さえあれば他の人にも聞いてみたいんだが、どうなんだい。
一人称とは!
単なる文法上の主語に非ず、
他のどんな言葉よりも先にその者の立ち位置や見解を表す!
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