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なぜLearnistなのか

「学び」
この言葉に対して
大きく二つの姿勢がある。

それは学びに
Learner(学習者)として向き合うか
Learnist(学び主義者)として向き合うか。

その姿勢を分けるのは
学びの必然性にある。

しばらくの間
学びはシステムの中で起こっていた。
人類の歴史から見れば
まだ短いとは言え
今現在を生きる私たちには
そのシステムがあることが
前提となっていた。

「学ぶべきもの」が
システムの中に存在すると信じられ
存在しないものは重要度が低く
学ばなくても良いものという扱いを
無意識のうちに持っていた。

そして、システムの中が完璧でないと
なぜシステムにそれが入っていないのかと
システムの欠陥を指摘されていた。
結果、システムは肥大化していった。

Learnistは
学ぶとは、創造することであり
生きることであると捉えている。
そのため、学びの動機は内側にある。

システムの中の定義で
学ぶべきものかどうかは
Learnistにとっては
さほどの問題ではない。

したがって
システムの中に見つからない場合は
システムの外に探し求める。
内側にある動機は
探し求める力を強く押す。

Learnistが確信を持つことは
学びのシステムは永遠ではないということ。
システムは進化する社会によって
いつかは再定義されることを知っている。

ただ
肥大化したシステムは重すぎて
すぐに変わることができないことも
Learnistは知っている。

システムが変わるのを待つか。
システムの外に探し求めるか。
ただ、
Learnistはシステムの限界を知っている。

だからこそLearnistは
誰にも教えられなくても
誰から評価されることがなくても
今この瞬間にも
想像と創造を止めることなく
学び続けている。










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