終わりのち、ハジマリ。はじまり。
あなたにとって出逢いとは何ですか?
あなたにとって別れとは何ですか?
あなたにとって終わりとは何ですか?
あなたにとってハジマリとは何ですか?
終わらないと思っていたものは終わる。
終わらないと思っていた。
私が終わりを考えたのは1年前頃。
急に終わることの恐怖があり、ハジマリが見えない恐怖があった。
ただ、終わらない物事の方が少なく
終われないという終わり方もある。
人生のなかで
自分という人生は一度きり。
終わらないものがあったとしても
自分が終わりを待つ間に終えてしまうこともある。
2024年12月19日
終わらないと思っていた
私の会社勤めが終わった。
ハジマリへの期待と不安
ここまで私が主人公の物語は38年続いてきた。
20年同じ会社で勉強させていただいた。
普通なら転職活動を終え有給消化で整え、新しい会社で一年生を始める。
というのが普通であろう。
私は自分自身で自問自答し
起業のみちへ駒を進めようと思う。
まさに、自分史上最大級のハジマリに直面している。
トータルドラマティックデザイン
会社勤めで学んだ自分自身には企画力がある。
トータル的に見て、仕掛け、仕掛かり、仕上げ、修正。。。。
とトータル的で、人様の記憶に残るようなドラマティックな企画デザインを行うのが私がやりたいことである。
世の中でまだ生まれていないであろう
【Total dramatic designer】
という新しい職業を作りたい。
具体的には、会社は利益を上げることが一番の仕事であるものの
ただ、利益に注視するのではなく
お金をいただく側も、支払う側もドラマティックな設計designに気持ちよく、誇りを持つようにしたいのです。
発信者であることに拘る。
発信者と聞いて何を思い浮かべるでしょう?
インフルエンサー
インフルエンサーと一言では表せることが出来ないほど
多種多様なsnsなどメディアが増えてきた。
勿論、
noteでのアウトプットも立派なメディアだ。
私は、自分のサポート力を通じやってみたいことがある。
ことばにしてみることは恥ずかしさもある。
それは、ラジヲ番組に関わる発信者となること。
何で今さらラジヲなのか?
何でではなく
私はnote内で何度も言うが『ただの人』
そのただの人が何者かになれるのがsnsの最大の魅力である。
ただ、昔からラジヲを聴く習慣は父親の運転する車のなかで養われていた。
その潜在意識からなのだろう。
小学校では放送委員会を努めた。少しクスっとおかしなMCになるよう努めた。
言葉で伝えることの出来ないことは、直接伝えた方が何倍も判る。
そして、進んだ文明とのちょっと融合させてみる。
するとどうだろうか、可能性という感覚が動き出す。
私が現在考えているこの考えは、将来的にメディアの革命となる得る【かも】知れない。
スッゴくアナログで少し古い考えだがこのデジタル社会におけるメディア戦略としては非常に抜け穴があるのだ。
これを見て【ピンっ】と来たら
私より先にやってみてください。
やろうとしていることは、ただのボタンの掛け場所を替えてみるというだけ。
文明の進化が速すぎるが故に、人が拾ってこなかっただけなのだ。
とかカッコよく記載しているが、実際にはラジヲパーソナリティーに憧れている。と言うのはここだけのお話。
楽しんでやっていく。
人が笑顔の場所には、笑顔がやってくる。
活き活きした場所には、人が集まる。
笑う門には福来る。
兎に角、笑って行きたい。
私がかかわることで笑顔が絶えない。
そんなお仕事が出来るように
私は、昨日サラリーマンを終え
新しいハジマリを迎える。
今までありがとうございました。
これからもありがとうございます。
ありがとう+ございました。は終えるとき。
ありがとう+ございます。は進行形。
この使い分けはマイルール。
カーテンを開け、窓も開き
朝陽を今浴びる。
『おはよう。』
ハジマリ、はじまり。
2024年12月20日
新しい自分が今ハジマった。
ここまで観ていただけたのなら、ありがとうございます。