自分の写真とは
先日、義父の還暦祝いをかねて妻の兄弟と連れ立って家族旅行をしてきました。行先は我が群馬が誇る名湯草津温泉。僕は10年ぶりの草津でしたが随分きれいになっていました。観光客を意識した景観作りという感じがしてとてもよかった。宿を出て湯畑の周辺を散策に向かったころ、ちょうど雪が降っていてその寒さのせいもあり湯畑から立ち上る湯気が見事でした。
雪化粧の温泉街。字面からすでにいい写真が撮れそうな気がします。こうして景色を撮るのも久しぶりだったので夢中でシャッターを切っていました。そうなんです、景色を撮るの久しぶりだったんです。最近の被写体はもっぱら息子。以前は人も景色もスナップもまんべんなく撮っていましたが、僕は撮りたいものの好みがハッキリ出るようで最近はフォルダが息子で埋まっていきます。
親としていいシゴトできてるなぁと思う反面、自分の写真てこども写真だけじゃないんだけどな、なんて思いが頭の中を巡っている時期がありました。
そもそも自分の写真てなんだろう。そう考えだすとシャッターを切るのが重くなり、次はカメラが重くなり…
ただ撮ることはやっぱり好きなんです。少し撮らない時期があると反動のように息子の写真を撮りまくっていました。そんな時期が続いたころ、カメラのメンテナンスの為に馴染みの修理店に行ったときのことです。
お店の方に「最近はどう?撮ってるかい?」と聞かれました。僕は、撮ってはいるけど息子の写真ばかりですよと答えました。他は全然撮ってないです、と。
僕は「子供がいたらしょうがないさ」とか「今の時期は我慢だよ」なんて言葉が出てくるのかなと思っていました。
でも実際は「いいもん撮ってるじゃないか」と言葉を掛けて頂いたんです。今しか撮れないし、一番大事なものを撮ってるんだから大したもんだよ。その言葉がなんだか嬉しかったんです。そのまま好きなもの撮ればいいんだって事をちゃんと言葉にしてもらった気がします。
僕はどうも度肝抜かれる絶景や、カッコいいストリートフォトよりも、家族や友人が目の前にいる普通の光景の方が好きみたいだし、撮っていて飽きないようです。もちろん色んなジャンルの撮影にもチャレンジしたいと思うのですが、主軸としてはやっぱり周りの人を撮ることなんです。いまだ曖昧ではあるけれど、少しだけ自分の写真というものの輪郭がわかってきたかもしれません。ピンぼけですけどね。