シャピロ「道徳理論における行為の三つの捉え方」
Schapiro, T. 2001. "Three Conceptions of Action in Moral Theory". Nous, 35: 93-117.
https://philpapers.org/rec/SCHTCO-13
倫理学における功利主義 vs. 義務論の論争の背後にある、行為やその価値の本性に関する捉え方を整理した論文。
世界を〈行為の文脈〉として理解したうえで、行為者は世界とどう関係するか、行為者は世界に何をもたらすのかという観点から、下記の三つの捉え方が区別・整理される。
① 産出としての行為〔action as production〕
② 主張としての行為〔action as assertion〕
③ 参加としての行為〔action as participation〕
論文は8節構成(1節が導入、8節が結論)。
2・3節では、①と②の立場が簡潔に紹介される。①が功利主義、②が直観主義と相性がよいこと、また、いずれの立場も(満足のいく描像ではないにしても)それぞれに重要な直観を救っていることが論じられる。
4ー7節では、①と②のすぐれた点をうまく組み合わせた立場として③が提示される。その際、ロールズにおける実践〔practice〕概念を、行為の本性にかかわるものとして一般化したうえで、カントにおける自由概念と結びつける、という戦略がとられる。
ロールズにおける実践概念の導入のあたりまではいちおう追えていたと思うのだが、それをカント的自由と結びつけるあたりで力尽きた。ので、いったんその前の部分までのざっくりの理解をメモしておく。
①産出としての行為
・行為:価値ある(と行為者が見なす)帰結を実現するための手段
・行為の価値:それがもたらす帰結によって決まる
・功利主義と相性がよい
②主張としての行為
・行為:他者との規範的関係における自己理解の表明
・行為の価値:それがどのように意志されたかによって決まる*
・直観主義と相性がよい
[*]よくわからん
①:因果的-記述的世界と、原因としての行為者を関係づける
(行為は世界に変化をもたらす、という直観を救う)
②:実践的-規範的世界と、観察者としての行為者を関係づける
(行為はそれが意志される仕方によって評価される、という直観を救う)
⇒実践的世界と、原因としての行為者を関係づけるような描像が求められる
③参加としての行為
・行為:行為者が参加する実践〔practice〕における指し手〔move〕
・行為の価値:実践との関係によって決まる
・カント的構成主義と相性がよい
③の背後にある洞察:ロールズとカント
■ロールズにおける実践の概念
・ある種の行為は、特定の実践のなかでのみ意味をもつ。〈その実践がなければ、そのように記述されることはなかった〉という意味で、実践が行為に論理的に先行するような種類の行為がある。
・ゲームの比喩:野球の実践がなくても、ボールを投げたり、クッションの間を走ったり、一定の形状の棒を振り回したりすることは可能。しかし、三振をとったり、盗塁したり、ヒットを打ったりすることはできない。(野球の実践がなければ、それらの行為はそもそもそのように記述されない。)野球の実践が、盗塁や安打や奪三振という行為に対して、論理的に先行している。
・上述の意味で、実践が行為に論理的に先行するような種類の行為がある。たとえば処罰という行為は、法制度という実践を前提とする。
・ロールズは、実践における指し手として理解できるような行為は、我々の行為のごく一部だと考えていたが、この洞察を、カントを手がかりに行為の本性にかかわるものとして一般化することができる
以下、カントの自由概念には法則・能力・世界という三側面があること、それがロールズ的実践との類比で理解できること、上記の洞察を行為者性一般の本性に関するものとして拡張できること、……等が論じられている(と思われる)が、また今度。
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