
『春にして君を離れ』
読みました。
アガサ・クリスティー 『春にして君を離れ』
クリスティーの作品にポワロやマープル、ミステリー以外にも面白い(面白い!?)のがあるよー と
あちこちで見かけたので
読んでみようかなと購入したのが
学生時代のこと。
当時は 夫 とか 家庭 とか(この作品のテーマになります)
そういうのがまだピンとこなかったので
物語を読むというより日本語を読んでいるような感覚に陥って
序盤で読むのをやめました。
読めなかったことがなんとなく気がかりで
結婚したのだからもっかい読めばいいのに
読めなかった という妙な苦手意識も強く
いつかいつかと思ううちに
気づけば娘が生まれ
なんだか立派な 家庭の天使 になったような気分で
今度こそ読んでみたくなったのです。
本棚の整理をするまで存在忘れてたくせにね。
生後3ヶ月の娘との生活ですが
意外と読む時間はありました。
一度は娘を夫に頼んで近所のカフェで集中して1時間半ほど
あとは娘が昼寝してるうちに… を数回。
そういえば久々の読書でした。
昨年の7月3日ぶりだったらしい。
わたしの読書は
読むときはぶわーっと読むし 読まない(読めない)ときは読まない(読めない)ので
趣味のひとつではあるけれど
習慣 とは言えません。
読む本も狭い狭い興味の対象のみ。
だから読書記録だとか本の紹介なんてとてもとても。
あらすじとか感想を文章に起こしたところで
中学生の読書感想文の方がよっぽど誰かのためになる文章でしょう。(小学生の夏休みの宿題には勝ちたい)
ということで、ぽつぽつと箇条書きのようなノリで、忘れちゃいけないことだけ残しておこう。
(以下若干のネタバレを含みます。)

久しぶりの1人時間でした
わたしにとっては こわい 作品だった。
普段読むのは推理小説とか事件ものが多くて
人間の心理を分析するような作品には慣れてないから
"そういうもん"なのかは分からないけど
誰も死なないし、超自然現象が起きるわけでもないし、
トラウマを呼び起こすわけでもない、
それなのに
今まで読んだ作品のなかでいちばん こわい 作品だったかも。
なにがこわいかって
こんなにも 自分事 の話が初めてだったから。
主人公 ジョーンはわたし。
ジョーンの思考は身に覚えがありすぎて
まるで鏡に映った自分を見ているかのようで
あるいは他人の目から見た自分が見えたようで
だからこそそんなジョーンの 気づき や彼女が迎えた結末に
ギクッとしたりグサッときたり。
気をつけよう って思ったはずなのに
ジョーンの結末を思うともう何もかも手遅れな気がして。
それでも気をつけよう って思ってても
読み終えてからの自分の言動はこれまでと変わっていなくて
やっぱり手遅れで。
でもやっぱり気をつけなきゃいけなくて。
もはや 気をつける をしなきゃいけない時点で
やっぱり手遅れなのかもしれない。
わたしは夫と仲が良い。
ぼんやりと抜けたところが多い夫と
幼い頃から周囲に「しっかり者」と認められてきたわたしは
バランスが良いのだと思う。
「よく気がつく」わたしはついつい夫に色々口を出してしまって
だいたいにおいてそれは後から考えたときにかけておいて良かったと思える言葉で
優しい夫はそんなわたしのアドバイスを
いつだって疑いもなく素直に聞き入れてくれる。
そんな関係性も含めて わたしたちは仲が良い。
……と思っていたのだけど
もしかしたらわたしの勘違いなのかも。
『春にして君を離れ』
勘違い をしているすべての家庭の天使たちへ。