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ザッソウ鼎談 - チームでザッソウの本について語ってみた

なんで読んだのか

石田:チームみんなでザッソウの本を読んで感想を書いてみようと言いつつ、まだ北村さんしか読み終わってないんだけど、僕は最初にこの本の話を聞いて、自分たちのやっていることに近いんじゃ無いかと思ったんだよね。我々、毎日3人でモブをやっていて、毎日ザッソウしている

永沼:悩んでいる人がこの本を読む心持ちと私達がこの本を読むときの心持ちは結構違いそう。私達が読むときは「答え合わせ」を中心の読み方になりそう

北村:「いざというときに相談しようと思っても大変でしょ。普段から温めておく」というのを倉貫さんが本の紹介として書いていた気がする。「そうそう」と思った。普段やっている、「治安を低く保つための治安維持活動」というやつ

石田:それはSlackの他人のチャネルに様々な画像を貼ったりすることのことですか?

北村:Slackを役立てるために適度に荒らしています。綺麗すぎると誰も書き込まなくなるから

永沼:北村さんがやっている「治安を低く保つための治安維持活動」ってどういうところから着想を得てやりだしたんですか?

北村:んーTwitterかな

ビジネスの速度がどんどん早くなっている昨今、ビジネスは瞬発力が必要とされていると感じている
すぐできるためには、そこまでに何かが整っている必要がある
「やるぞ!」となってから人を集め始めていては遅いはず
この準備の中に人間関係の構築が入っている
「チーム未満」だけど「やるぞ!」となると「チーム」になれるためにはいまチームじゃない人とも馴染んでおく必要がある

あと、単純に治安が低い方が楽しい
暇つぶしにみれるくらいぐちゃっとしている方がいい
ワークライフバランスとかじゃない。ワーク兼ライフみたいな

永沼:何ですかそれ

北村:生きてることが仕事です、生きてて暇だから仕事してるみたいな

石田:意識が低くていいですね

北村:これは重要な示唆があって、暇だから仕事しているというのは外発的動機づけじゃなくて、内発的動機づけに基づいて仕事してるということなんだよ

話は戻って治安維持活動の話なんだけど、Slackを見た時に「やってんなー」と思えるような状態にあるのがいい。いつ見ても変わってないと見なくなる

「やってんなー」と感じるにはある程度の流速が必要
メンバーを情報流通中毒になってもらうことで勝手に情報が流通していく状態にできるはず

情報の流通には4段階の象限があって、「仕事の役に立つ / 立たない」 x 「流量が多い / 少ない」があるんだけど、仕事の役に立つ情報のみを増やしていくのは作戦が思いつかなかった。一方で流量を増やすというのはできそうだった。

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流量を増やす中でひとつでも仕事の役に立つやつがあるんだったらそれだけでもプラスだな

読み終わっての感想

石田:「一度で伝わるはありえない」というのよかった。言語の力を過信しすぎない

永沼:むしろたいてい一度では伝わっていない

北村:なんで伝わってると思うんですかね。普段プログラミング言語を扱っていると、プログラムですらあんなに上手く伝えられないのに、自然言語でそんなにうまく伝わるわけないじゃんって思う

だから、あの手この手で自分の視点を変えながら伝えなければいけないよね。「明日やってください」「はい水曜日にやります」みたいな

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北村:雑談できない組織、接点の回数が少ないというのでうまく伝わっていないというのありそう

石田:先日「『ザッソウ 結果を出すチームの習慣』- ABD&著者講演」というイベントに言ってきた時に、自分たちは普段めっちゃ雑談してるチームなんですよという話をしたら、どうやってやってるんですか?みたいなこと聞かれたんだけど、普通にしてるから何を聞かれてるのかよくわかんないんだよね

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石田:本の中に「期待値を合わせる」という話が出てくるけど、我々がよくやっている、やってみて怒られが発生したらやめる、というのは期待値を調整する方法だよね。逆に怒られが発生すると勝手に思い込んでいる場合もある

北村:「許可を求めるな、謝罪せよ」のところで、「『結局はダメだったら謝罪するのか』と思うと気が重い」、とあるけど、私達ダメだったとしてもそんなに気が重くないんだよね。3人で決めたことだし。少なくともこの3人は同意しているから。

ムーブメントを起こすにはリーダーとフォロワーが必要、という話が出てくるけど、私達すでに3人いるので、リーダーとフォロワーがいる状態なんだよね

永沼:俺たちの間では既にムーブメントは起こっている

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石田:あと、どこがよいと言われたら「おわりに」の中で、倉貫さんが雑談が苦手だったと言っているところが良かった。

私も雑談は苦手で、でも飲み会とかで仕事の話をするのは好きで、そんなこと思ってるんだったら職場ですればいいじゃんって若い頃よく思ってた

雑談が苦手だっていう人がザッソウの本を書いていたり、雑談が苦手な自分が毎日雑談していたり。それなんなんだろう

永沼:苦手だから考える、というのはあるかもしれないですね。得意だと自然にできちゃうから

私たちの取り組み

石田:本を読んでみて、改めて私達がやってきた取り組みってなんだったんだろう

北村:この本の最初に、誰かが前触れもなく「辞めます」というのを防ぐためにザッソウしましょうという話があったけど、いまいっしょにやっているメンバーが「辞めます」といっても驚きはしないかな

永沼:確かにこれを防ぐという観点ではやっていない

北村:でも、実際にそうならないようにするというのでは役に立っていそう
「これこれのことがツライんですよね」「じゃあそれなんとかしましょう」みたいになりそう

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永沼:あれ?コミュニケーションがうまくいってないな、と思ったときの捉え方が以前とは変わった気がする
いまはこういうときに「まだコミュニケーションの量が足りてないんだな」という捉え方をするようになった

北村:以前は「なに言っているのかな?」「どう説明したらわかってもらえるかな」「なんでそうなってしまったのか」「この人のいまのインセンティブはなんだろう」みたいなことを考えていた

石田:最近、チームの中だけじゃなく、チームと周りとの関係もうまく行くようになった気がするんだけど、それってなんなんだろうね。他のチームから相談持ちかけられるようになったり

永沼:私達が歯車を回したのか、たまたま状況が噛み合ったのか。実は私達が巻き込まれて回っているのか。何が原因なのかはわからんなぁ

北村:人間の認知はバグっているというからなぁ。。。


ヘッダーの写真は Manfred RichterによるPixabayからの画像





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