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是枝裕和 ゴーイングマイホーム

是枝監督初めての連続ドラマ「ゴーイングマイホーム」を久しぶりに見返した。
役者一人一人のセリフがズブズブと刺さり、応急処置としてシナリオ集を取り寄せた。

後悔とはかつてそこに愛があった証である。

お母さんが亡くなってから町で同じ歳くらいの女の人見掛けるとお母さんのこと考えちゃうんだ。
死んでもいなくなったりしないんだね。

現場が好きなんですよ。

あー出世出来なかった人ってみんなそういう言い訳すんのよね。

大丈夫だよ、そんなコソコソしなくたって。別に遊んでたわけじゃないんだから。

働いてたから余計行きにくいわけですよ、嫁としては。

元気だなー萌江。ママが帰るっていうのに。

お母さんにあてつけてやろうって思って頑張ってきたんだから。意地悪でしょ私。

でも思い出されないよりはましなんじゃないかね。

東京の人はいいとこですよって絶対言わないでしょ。なんなんですか?謙遜?
ここはさぁ 誰も誉めてくれないですからね。せめて自分で誉めないと可哀想で。

お味噌はね、その場所にあるいろんな菌を自然に取り込んで、それでオリジナルな味になるんだって。
私はさ、自分ひとりで料理作ってるような気になってたけど、きっとお母さんとか、じゅんじゅんとか萌江とかからも、いろんなものもらってるんだろうなって。

嫌いになったとか、他に好きな人が出来たとか。何か言ってくれなきゃ先へ進めないじゃない。

すまない、でも後悔はしてないんだ。

映画では尺の都合で描けない豊かで贅沢なシーンがたくさん記録されている。ただそのせいでストーリー全体が間延びし、視聴者の求心力が損なわれてしまったことは否めない。

その経験を活かし出来上がった傑作「そして父になる」ではドラマ同様のキラーワードを残しつつ、人物設定ストーリーが削ぎ落とされ誰もが引き込まれる作りになっている。

是枝監督自身初の連ドラを経て、映画の捉え方が長距離走から中距離走に変わり、映画でできることできないことが明確になったという。その余裕がその後の作品たちに結実している。

迷ったときは原点に立ち返る。
ゴーイングマイホーム。