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天下茶屋を訪れました

 私は甲府市からバスに揺られて一時間。御坂峠へたどりつく。
 御坂峠、海抜千三百米。この峠の頂上に、天下茶屋という、小さい茶店があって、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもって仕事をして居られる。(略)井伏氏のお仕事の邪魔にならないようなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思っていた。

太宰治『富嶽百景』

 先日、山梨県にある天下茶屋を訪れました。この茶屋は上に引用したように、太宰が滞在し『富嶽百景』の舞台になった場所です。死ぬまでに一度は訪れたい場所でした。
「行く」とか「寄る」という軽い表現はできないほどの急な峠道を進みました。私は車で訪れましたが、バスも出ているそうです(ただしバス停から徒歩で1時間かかります)
 大人になったらいつか訪れようと思っていたので、まさかこんなにも早く訪れることができるとは。免許取っておいてよかった。

 茶屋からは富士山が一望できます。太宰もこの場所から同じ富士山を見たんだなと思うと、嬉しさよりも気恥ずかしさが勝ってしまいました。物陰から気になる人を眺めているような気持ちになりました。なぜ。

 天下茶屋というくらいなので、一階は茶屋です。だんごとか、ほうとうが食べられます。私もせっかくなのでほうとうを食べました。いつもの癖で、写真を撮るのを忘れてしまいましたが。
 二階が太宰治記念館になっています。太宰の初版本や、昔の天下茶屋の写真などが展示されていました。それだけで大興奮だったのですが、太宰が実際に使用した机や、火鉢、当時の床柱もあり、太宰治という人の存在を肌で感じることができました。ああ、ここで書いていたんだ、あれこれ考えていたんだ、と思うと、『富嶽百景』は代表作の一つという大雑把なくくりではなくて、太宰が太宰の感性や経験を持って書いた一つの小説なんだ、と作品の輪郭がはっきりしてくるようでした。

 太宰が目にしたであろう、茶屋の窓から見える富士山もしっかり目にやきつけてきました。でかい。堂々としている。人に見られて崇められていることに慣れていそうなその佇まいを見ていると、太宰のように「富士なんか、あんな俗な山、見度くもない」という「高尚な虚無の心」になると思ったのですが、私はなりませんでした。綺麗なものは綺麗だし、やはり目を引き付けられるものです。「おや、月見草」と言って、路傍の一箇所を指さす老婆にはなれそうもありません。

 訪れた日は本当に天気がよく、雲一つない快晴でした。太宰が天下茶屋を訪れたのも秋、ちょうど9月~11月あたりだったようなので、美しい紅葉と雪化粧された富士を見ていたのでしょうか。

 好きな作家と同じ景色を見ることができる。なんて幸せなのでしょう。

 いつか、青森県にある生家も訪れたいです。

写真のおすそ分けです。窓を覗くと富士山が見えます。






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