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17年ぶりに暴かれた毒親の欺瞞

お久しぶりです。誰も待ってないと思いますが新作を書くに値するネタが舞い込んできたのでいつものようにつらつらと愚痴や体験談を交えながら駄文を綴っていこうと思います。

17年前というのは私が精神病を発症して母が謝罪のような言い訳を並べてきた年です。

先日、毒親(母)の妹さんに電話する機会がありました。初めはがん治療が無事終わり現在は元気に過ごされていることに対するお祝いメッセージを告げました。
とても優しい妹さんなので私に気を遣ってか、全然平気だから心配しないでと言ってくれて素直に少し安心しました。

そして話題は母の話へ。気になっていたことが幾つもあったので最初は虐待や過干渉の話はせず、子供の頃の養育環境はどうだったのかをやんわりと尋ねました。
すると、母が今までいつも私に言い聞かせていた話とはまるで印象が違ったのです。

まず、たまに父(祖父)が怒ることはあったがちゃんと理由があった場合だけであり常識の範囲内だったこと、母(祖母)からの虐待や家庭内いじめは一度も見たことがないそうです。

隠れてやられていたんじゃないかとも一瞬頭をよぎりましたが、昭和の狭い家庭の中で兄や妹に一切見られないように虐待を繰り返していたとは中々考えにくいです。

要するに母が勝手に自分は愛されていないと思い込み被害妄想的に虐待されたと勘違いしたか、完全に私に対する虐待を正当化するために嘘をついたかのどちらかになります。
どちらかは断定できませんが恐らくどちらの要素もあり自己欺瞞に陥ってしまったのだと思います。

とにかく自分が悪かったことを認めたくない一心でやられたことをやり返しただけというストーリーを創り出したのでしょう。

今までは母に同情していた部分も少なからずあったのですが、これで完全に同情心は消え去りました。
今までやられてきたことを鑑みれば素直に本当のことを話して謝罪する訳なんてなかったんです。
そのストーリーに騙され、うっすらとでも同情を寄せてしまっていた自分が情けないです。

他にも母は嘘をついていました。それは学生時代学業優秀でお金があれば良い大学に行けたはずで、高卒で名の知れた企業に就職して高給取りだったなどの自慢話です。
妹さんからすると自分だったらとても自慢できるような経歴ではなく、誰が見ても凡庸な人間だったそうです。

妹さんは謙虚な人なので「私の方がバカだけどね」と言っていましたが人間性や結婚相手のステータスを見るとどう考えても数倍、いや数十倍出来た人間のように感じました。
勿論電話で1時間半話した時間と子供の頃親戚で集まった記憶くらいしか判断材料はありませんが、それでも大体の人間性はわかります。

ひとつ、笑えるエピソードがありました。妹さんは数年前にがんを患ってしまい大変な苦労をされました。髪の毛は全て抜け落ち、食欲もなくなりきっと生きた心地がしなかったことでしょう。
そこで母が珍しくお見舞い品を送ったそうです。たまには人間らしいこともするんだと思いましたが、中身を聞いて驚き。何とがん患者が到底食べられないような食べ物のセットだったそうです。
妹さんはそのお見舞い品を見て「正直全然嬉しくなかった」そうです。
当たり前ですよね。食べられないものを送られて来るなんてある意味嫌味に捉えられても仕方ないくらいの出来事です。
本当に、人の気持ちや事情を全く考えず自分が良い人だと思われたいが為の偽善的行動だなと感じました。
もし嫌味で食べ物を送ったとしたら相当な性悪です。

母はこんな小言も言っていました。「妹はがんで辛かったかも知れないけどうちみたいに金に苦労したことはないもんね」と。
まず病気の辛さと貧困の辛さは比較対象にならないですしがん治療の辛さを軽視しているようでした。

きっと母は明るく美人な妹さんに嫉妬して誰からも愛されてないと思い込み、自分が持っていないものを全て持っている妹さんが憎くて仕方なかったのでしょうね。

妹さんは真摯に私の話を聞いてくださり、虐待や過干渉のエピソード毎にとても驚かれていました。姉妹仲がそれほど良くないとはいえ、たまに連絡を取り合っていたそうなので母の知らない一面を覗いてさぞ恐ろしかったでしょう。

もしがんが再発しても母には伝えないそうです。
実は心から心配されていなかったなんて知ってしまったらそうなりますよね。

妹さんの口から出た象徴的な一言が「悪魔がついてるね」です。本人に向かってではないにしろ実の姉にそこまで辛辣な言葉を放つとは珍しいです。知らなかった一面が余程恐ろしかったのでしょう。

妹さん、母の化けの皮を剥いでくださって誠にありがとうございました。

これでまた人生がまた一歩、良い方向へ進歩しそうです。


今回得た教訓:加害者に不必要な同情を寄せないこと😆

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