助かった
助かった。心から湧いて出てきた言葉だ。
ついさっき、障害年金の訴求申請で得られた200万円が銀行に振り込まれていた。
障害年金の申請をしたのはいつだろう。
なんで障害年金の申請をしようと思ったのだろう。
なにも思い出せない。
覚えているのは、障害年金の申請準備をするために近くの行政書士?の事務所を訪ねて優しいお婆さんに優しくするべきことを教えてもらったこと。どっかのビルの小さな一室で、伽藍堂の部屋の中心に机と椅子だけがあって、忙しそうなお婆さんにしどろもどろ話したら、優しく聞いて説明してくれた。代金も取られなかったし、もしここの段階まで行ったらあとはやってあげるよ、お金は申請が通ったらでいいよ。とずいぶん良心的だった気がする。
そこからは書類集めで、初診の病院、初診から1年数ヶ月後に通っていた病院(これくらいの期間は通院していないと傷病と認めないよ的なやつ)、現在通っている病院、それぞれからその時の症状と詳細を書いた診断書を書いてもらう必要があった。
その診断書は確か1万円くらいだかで、まだ申請が通るかどうかもわからない段階で払うのは結構勇気がいった。
障害年金には厚生年金と国民年金でそれぞれ別の指標があり、厚生年金の方が審査が緩い上に金額も多い(厚生年金は3級相当でも手当が付くが、国民年金は2級からでないといけない)。どちらに該当するかは「初診日にどちらの年金に入っていたか」だ。自分の場合はまだ休学中の身で親の扶養に入っていたから国民年金扱いだった。
こっちは生活がかかっているもんで、どうにか初診日をずらして厚生年金の時期に初めて病院に行ったことにできないかとか考えてた、し、司法書士高のお婆さんにも話した気がする。でも、病院にかかったときにその前の通院歴については話しているはずだし、病院の先生がそれを隠すメリットがない(というかリスクしかない)から無理だよと言われ、そうかぁと気が滅入った記憶がある。
2級相当の障害であると認められる自信がなかった。
精神障害の場合の等級の決まり方は、身体障害の人とどれくらい同じか、で判断される。具体的に覚えていないけど、3級は日常生活に支障があるとか、2級は日常生活はサポートがないと送れないとかとかそんな感じだった。
自分はこの4年の間に会社も起こしてるし二回就職もしてる(どちらも早期退職だけど)。その記録なんかはすぐに照合されるだろうから「あなた全然まともじゃないですか」と言われそうですごく気が滅入った。
そんなふうに気が滅入りながらだから、「申請させしたら通る!」なんて前向きな気持ちになれず、昔通っていた病院まではるばる行って1万円払って紙をもらうなんて行為に希望なんて持てなかった。ダメでもともと、とりあえずやるか、みたいな感じ。
初診から1年半経過した時に通っていた三鷹の病院では、当時少し元気だったりサービスリリース準備が忙しかったりで少し通院時に強がってなかったっけとか思って、診断書をもらいに行く時は精一杯辛そうな顔をして話した(100%演技ってわけではないけど)。
TMS治療受けさせてもらえませんか的な診断を受けに病院に行った時、自分の話し方がやけに客観的でしっかりしていたから、「あなたはそんなに深刻そうに見えない、だって今ちゃんと話せてる」みたいなことを言われて、自分の対外パフォーマンス能力の高さを恨んだ。そして診断書をもらいに回っている時はすごく気をつけた。
金がぜーんぜんなかった。預金1900円とかあった。なににそんなに使ってるんだと、酒もタバコも女も時計もなーんも浪費癖ないのに。ああそうか、ただ収入がないだけか。あと、形だけの会社に請求される社会保険料と年金を内袖振って絞り出してたからか。
カードの支払いができない、銀行に何件もお知らせが来てる。社会保険料払ってませんよ、ちゃんと払う気があるんですか?この日にここに来てちゃんと話してください(その書類を見たときにはすでにその日は過ぎていた)。
目先の金もないのに〇〇(なんでも)やってる場合じゃないよね、収入ないやつがいいシャンプー買ってんじゃねえよ。別にそんなこと言われているわけでもないけど、自責の念が魑魅魍魎のように蠢いていた。
奥さんというか妻というかなんというか、一回ちゃんと話した。出会たての頃に「月に20万円は稼ぐこと」みたいな制約を交わされて、そのために二回就職したのもあるのだけど、それが呪いとなってイルミの針として脳に刺さってると。「今はそんなこと思ってないよ」と言われたけれど、言葉の呪いはなかなか解けなくて。結婚したことを後悔してたり、あの頃の自分には自我がなく責任能力がなく「どうかしてた」なんて人に話したり。
とにかく、心身に余裕がなかった。
家出もしたり。
俺だって金を稼ぎたいのは山々だし、この体と頭が言うことを聞けば、このガンダムが思う通りに動きさえすれば。
まずは日銭をと言うけれど、奇跡的に思う通りにガンダムが動く日にマクドナルドでアルバイトをしてたらそれはその沼から200%抜け出せないのだと。
体感4週間に1週間思い通りに動ける日があって、その日に動けない3週間のための蓄えをしないと冬は越せねえだろうよいと。だから、自動化できる手法や、グレーに短期間にガッと稼ぐ方法を思案して計画してたりした。
AI使ったエロ画像を売り捌くとか、エロ画像の作り方の情報商材売るとか、AI生成されたコンテンツには著作権認められないんだから他人が生成したAIエロ画像を転売してやろうとかとか。倫理観をかなぐり捨ててめちゃくちゃ頭フル回転させてた。だって命かかってるから。
めちゃくちゃ計画立てて下調べして販売先と仕入れ先見つけて半自動化できるようなツール探してアカウント作成して、アクセス先がわからないようにVPN契約して。
でもなぜか実行に移せなかった。引き金を引けなかった。スカーを撃てなかったウィンリィと同じ。今となってはそれで良かったと思えるけど。
特に今年、2024年は自分とひたすら向き合い続ける年だった。
希死念慮なんて一ミリも思ったことなかったのに、家出中に一瞬よぎったことがあってスゲー怖かった。論理とかじゃない圧倒的なパワーというか波を感じた。
生きるとは、人生とはもたくさん考えた。
コンビニのアルバイトとか、普通の会社員でもいいのだけど、妻がいて子供がいて家と車をローン付きで持って、週末は趣味の釣り、時々友達とハメを外して遊ぶ。なんていうひろしの生き方が俺はできないと感じて絶望した。できないというかやりたくないというか、「ただ生きてるだけ」に価値を見出せない。(もちろんただ生きてるだけなんかじゃないしこれが正解の価値観と思ってない、他の人の生き方にケチをつけるわけでは全くなくあくまで対自分に対してだけ)
「俺らしく生きれねえなら死んだほうがマシだ!」なんて安いパンクロッカーワナビーが言いそうな事を本気で思ってしまうなんてと恥ずかし!だし、悲しかった。
でもそれくらい「生きるとは」について考えてたし、向き合ってた。
鬱がひどいとき1,2週間がぶっ飛んでることも普通にあって、俺先月なにしたっけと絶望しそうになるのを必死にあれをしたこれをしたと弁明し宥めるもう一人のぼく。そのもう一人のぼくが弁明に使えることをし続けるしか生きる光明が見えなかったのだと思う。たとえば7月は元気な時はマクドでアルバイトしてたよ、12万円くらい稼いだし、バイト先のおばさんと仲良くなったし楽しかったよとは、多分弁明できなかった。先月なにしたっけと絶望している俺に対して、「ただ生き抜いたよ!」とは声をかけられなかった。
そうやって人生に苦悩し、残高と郵便物から目を背け、AIに縋りつき少しでも勝てる道をと生きるか死ぬかで過ごしてた。本当に誇張なく「生きるか死ぬか」だった。
迷惑もめっちゃかけた。
10数年来の後輩を雑に飲みに誘ったのに別用が入ったとキャンセルし呆れられた。
M1を一緒に出た大学時代の友人からの連絡を1週間放置してぞんざいに返した。
10数年来の友人とは生きることへの執着にズレを感じて何を話したらいいかわからなくなった。
相談を始めたのに勝手に打ち切った上、急に飲みに誘ったり電話できないかと言ったり。
本当に、全員に、心から申し訳ないと思っている。
ごめんなさい。
許してくれとは言わないが、それだけもがいて足掻いて争ってたんです。
また人生が交わる時があればその時は恩返しさせてください。
障害年金をなんとか申請したのがいつだったか、8月とか9月?我ながらよく頑張ったと思う。
審査に数ヶ月かかると言われて、そして10月。
市役所的なところから封筒が来ていた。多分それが審査の合否の連絡だろうなと思ったから心が重くて1週間くらい放置していた。どこかのタイミングで思い立って開けたら、通ったよと書いてあった。通った上に遡求申請も到底た。(遡求申請とは、初診日から1年半だか経ったところから年金がもらえる権利があるから、その時点から今日時点までの分の年金を遡って申請できるという制度。ただし、その間の症状の具合や書類によっては却下するかもねというもの)
これから2ヶ月に一回12万円くらいもらえるよ(1ヶ月6万円だけど、処理を減らすために2ヶ月に一回にする水道料金システム)。そして、あなたの場合は(だいたい)4年前が初診日だから、1年半過ぎた時点、今から2年半分の年金が通ったからその分の金額、200万円くらいもらえるよ。という内容だった。
自分の体からプシューと空気が漏れるような、強張ってた体が弛緩するような、張り詰めてた風船が緩むような、そんな感覚になったのを覚えている。
とりあえずこれで生きられる。助かった。生き延びた。と、本気で思った。
気持ちがスッと楽になり、じゃあ何しようと前を向けるような。
お金って大事だね。
それで今日、口座を見たら振り込まれてた。
またプシューと空気が抜けるのを感じた。
鬱になったら「なる前に戻ろう」ではなく、なった後の自分でどう生きていくのかを考えよう、が大事ならしい。サカナクションの山口一郎もそう言われたと話していた。
頭と心を一度破壊し、そして幸運なことにようやっと再構築できた気がしている。
いつの間にか自分の中の美学や琴線がハッキリとし、勉強や仕事のための土台と自分の癖もわかった、今までなんでやってこなかったんだろうと不思議に思えるくらい、PCの中の作業環境を整えられた。
よくしてもらっている知り合いに「病気って本人がなりたいと思ってるからそうなるらしいよ」と言われた時があった。
その時はスピ的なやつかと全然咀嚼できなかったんだけど、ある時「そうかも」と思えた瞬間があった。
自分は表現者としての素質がない。表現者にあるべき飢えや乾き、切望、人間性の歪みがない、と思っておりそれが少しコンプレックスでもあった。
そして今、自分には飢えも渇きも強い思いも歪みもある。
一端の表現者らしい人物になったではないかと皮肉めいた気持ちになった。
お前が始めた物語だろう、とエレンが言う。
そしてようやっと「自由だ」と両手をいっぱいに広げて空が見えるようになった。