2024/07/05(金)トラペジウム 2回目@新宿バルト9

主人公が目的のために策略的に周りを利用していく様や、グループ崩壊への流れなど、印象的なシーンがあった事も含め、忘れられない内容だった映画。

1回目を観た後、アイドルへの憧れや、青春の友人関係と並んで、「もしかして、これがもう一つのテーマの軸なのでは?」と思ったことがありました。

それは「親子の関係性と愛情」だったのですが、たまたまなのか筋が通った観方なのか、ある種、確認の意味もあり、2回目を観て来ました。

・東家に父親の描写が一切無い。

・完全に自分自身を満たすために突っ走る姿勢や、願った関係性を手に入れた時の喜び方の過剰さが、まるで小さい子が親の無償の愛を求めて、その代わりを手に入れた姿のようにも思える。

・唯一の東ゆうの号泣が、母親から「ゆうにはいやな所も、そうでないところもあるよ」を受けてのものだったこと。

父親の描写が無いのは原作からそうなので偶然かもしれませんが、親子での会話の内容が原作にはない映画独自のものだった事から、この流れは意図して加えたのだと考えられます。

自分でも意識下出来ない「受け入れられていない」、「愛されていない」と言う思いを、アイドルを通じて昇華しようとした結果、周囲との関係が破綻。
しかし、一番身近にいた母親が、すでに「自分の良い所も、欠点も、全部含めて受け容れてくれていたのだ」と言う事を知って号泣した、と言う物語だと受け取っています。

だからこそ、その後に過去の自分がどう思われていたのかをを美嘉に聞きに行くなど、自分本位でない形で、人との関係性を作り直そうとしていくように、変わったのではないかと思えます。

そうして、映画で内面がより掘り下げられた結果、エンディングも「アイドルになる前から、光り輝く魅力があった」と言う恋愛的な結末ではなく、「悩み苦しんで人との関係に失敗したりもしたけれど、そのもがいて走った日々自体は肯定したい」と言うものに変わったのだと感じます。

そういう意味で、初回で観た時に感じた「文学的」と言う感想は、映画版でこその魅力だったとも言えて、観て良かったと改めて感じる作品でした。

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