同じ生き物はこの世に存在しない

家の裏には広い畑と田んぼが広がっていて、小さな川も流れているのどかな風景が広がっています。

家から徒歩5分のところに、10坪ほどの畑を借りました。この近所の農家も高齢化が進んでいて、農業を続けれない農家が市民農園として畑を市民に貸し出してるので、老後の趣味にと思って始めました。

小さな畑ではありますが、そこでいろんな野菜を栽培しています。寒い冬が明けて、最初に植えるのはジャガイモです。2月くらいに種イモを植えて、桜が咲くころに春野菜を植え始めます。インゲンマメ、シソ、もう少し暑くなると、夏野菜のトマトやナスやオクラ、梅雨明けにはジャガイモが収穫できて、暑くなると夏野菜の収穫がピークになり、毎週たくさんの雑草を抜くのと収穫で大忙しです。夏が過ぎると、秋野菜のダイコンやカブを植えて、秋ジャガイモも植え付け、冬に向けて収穫して、1年間が終わるという野菜を栽培しながら季節を感じる毎日です。

普段、スーパーで買ったり、レストランで食べてるだけではあまり考えることもないですが、野菜には種類があって、ジャガイモやナスやトマトやピーマンといった夏野菜は【ナス科】、ジャガイモはナス科なのに、同じイモでもサツマイモは【ヒルガオ科】と異なっていて、葉や花の形で種類が分かったりします。

不思議なもので、同じ種類の野菜をずっと同じ場所で育て続けると、連作障害といって、病気にかかりやすくなったり、収穫が悪くなります。また、【アブラナ科】の野菜は春になると菜の花が咲くのですが、その菜の花同士が交配して、新たな種が誕生します。皆さんになじみの深いキャベツとかブロッコリーといった野菜も、自然に誕生した野菜ではなくて、同じ【アブラナ科】の植物であるケールをもとに、人工的に何世代も改良を重ねて、今の形になったと言われています。

つまり農業というのは、人の手によって人工的に人間の食を満たすために、生態系に手を加えているということです。どの野菜も一つ一つが生物であって、より環境に適した種へと進化する仕組みが備わっていて、その進化の仕組みを人が手をかけて利用しているということです。

初めてそれを本で勉強して知ったときに、面白いと感じて、ある年にカブの菜の花とダイコンの菜の花を近くで咲かせて、新しい品種を作る実験をしてみました。その菜の花から取れた種を翌年に栽培してみると、驚くほど大きな葉っぱを持ち、根っこの部分も巨大な白いカブともダイコンとも言えないような大きな実をつける野菜が育ちました。きっとこのようにして、京都の巨大なカブなんかはできあがってきたのだろうと感じました。

カブの遺伝子とダイコンの遺伝子がランダムな組み合わせで交配し、次世代には新しい品種が生まれる。おそらくその土地の土や気候といった外部の変数の影響を受けた形で誕生していて、それは無限の組み合わせがあって、世の中に全く同じ遺伝子を持つ野菜はおそらく存在しえないのだろうと思います。

生物である以上、常によりよい個体に向けて進化します。同じ野菜でも全く遺伝子が同じ個体は存在しないような仕組みになっているようです。先に述べた連作障害は面白い現象で、同じ場所で同じ野菜を育て続けると、だんだん病気になりやすくなったり、収穫が減ってしまいます。つまり、土の中の栄養バランスや細菌に対して、新しく進化して対抗できないと、その種は環境に敗れてしまい、死んでいくということだと思います。

「生きる」ということは、常に外部の環境に負けずに、自らよりよい個体に向けて進化する、強い個体だけが生き残る、いわば、生存競争がその本質なのだろうと野菜栽培からも感じます。

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