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私が医療ソーシャルワーカーになった理由。

医療ソーシャルワーカー
通称:MSW

皆さんはこの職業を知っていますか?
名前を聞いたことがありますか?

以前、プロフィール記事にて、私が「医療ソーシャルワーカー」であることを書きましたが、今日はMSWがどんな仕事なのか、どうして私がMSWになったのかについて書いていきたいと思います。

医療ソーシャルワーカー(MSW)とは

そもそも私がこの記事を書こうと思った理由ですが、経験年数が約10年となり、「はて、私はなぜ医療ソーシャルワーカーになろうと思ったんだろう。」と忘れてしまうことがありました。
新人や後輩、実習生には「なぜこの仕事を選んだのか、その気持ちは忘れないで。」と言う割に、自分は忘れかけている。
それはあまり良くないでしょうし、この仕事が辛い、と思った時に、また戻って来ることができる原点の気持ちを、私自身思い出す必要があると感じたからでした。
また同時に、なかなか馴染みのない、けれど人生で一度は出会う可能性のある職業「医療ソーシャルワーカー」のことを、少しでも知ってもらおうと思ったからというのもあります。

医療ソーシャルワーカーは、なかなか一言では表せない職業でありますが、日本医療ソーシャルワーカー協会が提示している「医療ソーシャルワーカーとは」という箇所を引用して紹介しようと思います。

保健医療機関において、社会福祉の立場から患者さんやその家族の方々の抱える経済的・心理的・社会的問題の解決、調整を援助し、社会復帰の促進を図る業務を行います。

具体的には、
1. 療養中の心理的・社会的問題の解決、調整援助
2. 退院援助
3. 社会復帰援助
4. 受診・受療援助
5. 経済的問題の解決、調整援助
6. 地域活動
を行っています。
〔厚労省『医療ソーシャルワーカー業務指針』より〕

会員の多くは社会福祉系大学等の専門教育を修了した後、病院等で上記の業務に従事しており(社会福祉系大学・大学院卒が、2010年4月現在83%)、近年は社会福祉士・精神保健福祉士等の国家資格取得者も増えています。また、医療と福祉の連携強化が求められている状況の中で、病院・保健所のみならず老人保健施設や在宅介護支援センターなどにも活躍の場が広がっています。

――――日本医療ソーシャルワーカー協会(旧ホームページ)より

病になった時、ケガを負った時、それまで送ってきた生活が大きく変わってしまう、ということは誰にでも起こりうる可能性があります。
そのような時に、患者さん・ご家族が今後どのような生活・人生を歩んでいきたいのか、一緒に考えて相談に乗っていくのが医療ソーシャルワーカーの仕事です。
(実際には患者さんからの相談に乗るだけではなく、色々な仕事をしていますが、今回は割愛します。)

そんな職業を私がなぜ選んだのか、次に自分の考えを書き残したいと思います。

「本当にやりたいこと」がわからなかった学生時代

学校の成績評価が、相対評価から絶対評価へ変わる頃に私は学生時代を送ります。
「個性を伸ばす」という事で、しきりに人とは違う何かを求められた時代だったと記憶しています。
と言っても、10代前半の私が自分の個性を分かるはずもなく。
(そもそも私が自分のことを本当に理解できるのなんて、社会人になってから)
学校が求める「個性」とは何かが分からずに、戸惑いながら過ごした気がします。

そんな中、中学生ぐらいの頃から「将来は何になりたい?」と周りの大人や学校から、しきりに聞かれることが増えました。
幼稚園や小学校低学年の頃に聞かれるよりも、もっと具体的な話として。

私は中学時代、詳しくは書きませんがいじめに遭っていたことがありました。
けれど、そんな状況でも私の話を聞いてくれる人がいて、今も交流が続く友人に出会い、何度も助けられました。

人は人に傷つけられ、そして人に助けられる。

これが私の座右の銘です。
そして、人に助けられた人生だから、今度は自分が誰かを助けたい、と思ったのが、自分の将来を決める道標となりました。

誰かの役に立ちたいと思った多感な時期の私は、「誰かを助ける=医療現場」と考えました。
ただ、医療現場と言っても色々な職業があります。
その中で私が選んだのが、「薬剤師」でした。
私が「薬剤師」という職業に興味を持った理由は、伯母からの影響でした。

切っても切れない伯母の影響

伯母が薬剤師もしくは医療関係者だった―――なんてことは1mmもありません。
伯母は数年前に病気で亡くなっていますが、生前は(私にとっては)トラブルメーカー。

伯母のプライベートになるので詳しくは書きませんが、パートナーと離婚し、定職になかなか就けず、精神疾患を患い、仕事も出来ず、最終的には生活保護を受けます。
一時は住む場所も失い、私の実家で暮らしていたこともありました。(生活保護受給前)

今冷静に振り返れば精神疾患の症状だったと思いますが、私達家族は伯母に振り回され、たくさん傷付けられました。
伯母はどうしてこんな風になってしまったんだろう、いつ伯母の歯車が狂い始めたのだろう、と幼心なりに思った時に、伯母も母もよくこぼしていた言葉を思い出しました。

「女は手に職をつけたほうが良い。そしたらいつでもどこでも仕事ができるから。」

伯母がよく言っていたのは、「自分に合った仕事が見つからない。」と。
追い詰められた伯母に傷付けられた私は、女性が一人で生きていく力をつけるためには、何かしらの専門職になった方が良い、と次第に思うようになりました。

(※中学生の頃の私は、伯母が精神疾患を患ったのは、仕事がなく生活に困って追い詰められたからだと思い、上記の考えに至りましたが、後々大人になってから事実を聞くと、どうもそれだけではなかったようです。
未成年だったこともあり、了見が狭かった、と思っていただければと思います。)

当時は毎週日曜日に求人広告が入っていたのですが、そのチラシを見ているうちに、薬剤師の応募が多くあることに気づきました。
丁度いじめ事件があったこともあり、「これだ。」と思いました。

私は薬剤師になって、一人でも生きていける力をつける!

その後、私は狂信的に薬剤師への道を突き進み高校へ進学します。
そして、いよいよ高校卒業後の進路を明らかにしなくてはならない高校2年生の時に、薬剤師の道を断念します。
理由としては、以下の通り。

①実家から通学できる範囲で、国公立の薬学部がなかった。
(東京大学にはあるようですが、さすがに狙えなかった…)
②私大の6年間の学費が払える経済的余裕がなかった。
③数学が壊滅的に不得意だった。

中学生の頃から約4年間、将来の夢は薬剤師しか考えたことがなかった私は、ここで挫折を味わいます。
そして真っ新な状態で考えたとき、志の高い理由で薬剤師になろうとしていなかった自分を恥じ、改めて卒業後の進路を本気で考えました。

昔からですが、私は社会(経済を除く)が得意でした。
そして経済的な理由で進学先を諦めた経験から、せっかく大学に行くのであれば、漠然と行くのではなく、将来役に立つことを学びたいと思っていました。
もちろん、人を助けたい、という条件も忘れずに。

社会…将来に役立つ学問…人助け…

そのキーワードで色々と調べた結果、出てきたのが「医療ソーシャルワーカー(MSW)」でした。
一度思い込んだら一直線な私は、普通ではあまり考えられないことですが、高校3年生で文転することに。
(理系から文系へ変更することを、当時そう呼んでいました。)

そして、母校である都内某私大の福祉系学科へ入学することになります。

MSWになりたいと強く願った日

薬剤師を選んだ時よりも、少しは志の高い理由で選んだ医療ソーシャルワーカーでしたが、それでも「医療ソーシャルワーカーって具体的にはどんな仕事をするんだろう…?」と思っていた大学生。
本当に強くなりたいと思ったのは、大学4年生の時でした。

大体の福祉系学科には、福祉の現場実習があります。
(大学によってカリキュラムの違いがあるようですが、国家資格の社会福祉士を取るためには現場実習は必須になります。)
私は4年次に医療機関での実習をするのですが、実習先でのクライエント(患者さん)との出会いが、私の人生を変えました。

詳しくは書けませんが、この実習で、病とこれからの生活・生き方に悩むたくさんの患者さんとご家族に出会いました。
そして、病気があったとしても強く生きていくその姿に、心が強く揺り動かされました。
もちろんたくさんの戸惑いや、悩み、悲しさや悔しさ等、ネガティブな感情や出来事も目の当たりにしましたが、それ以上に私の記憶に強く残っているのは、患者さん・ご家族の自分の生に真摯に向き合おうとする強さです。
医療機関の実習は厳しく、本当に辛い経験でもありましたが、この実習を通して私は初めて、本当の意味で「MSW(医療ソーシャルワーカー)になりたい」と強く思うようになりました。

今振り返ると、患者さん・ご家族から力をもらっていたのは、学生時代の頃からだったんですね。

かくして私は、運良く現在の職場に就職をし(当時はなかなかMSWの求人が少ない状況でした)、今もMSWとして勤務しています。

この仕事を始めて10年経ち、改めて思います――――この仕事は難しい、と。
そして同時に、人々の奥深さを感じさせてくれる味わい深い仕事でもある、と。

この仕事に向いている人、向いていない人がいるかと思いますが、私はたくさん悩んでこの仕事を選んで良かった、と思います。
10年経ちますが、相談員としてはまだまだ未熟で、今も様々な人に支えられながら、日々を過ごしています。

この記事を書きながら、実習先のソーシャルワーカーさん達のように、私も患者さん・ご家族と真摯に向き合い続けたいと思った学生時代、新人の頃の気持ちを思い出しました。

いつかこの仕事で挫折し、最終的にはこの業界から去るようなことがあるかもしれませんが、それでも今日思い出したこの気持ちは、絶対に忘れずにいたいと思います。

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