私は女の子になりたかった-毒親のお話
毒親は、子どもの性を否定する。なぜなら、自分より可能性をもって幸せになろうとする子どもが許せないからだ。疎ましい。自分の存在価値が揺るぐ。だから、あらゆる「もっともらしい理由」をつけて、子どもの性を否定する。
物心つく前から「らぶは男の子みたい」「男の子に間違われる」
そればっかりだった
買ってもらえる服は、「らぶちゃんは周りの子より大きいから」「胸が目立たない服を」そう言って、980円ぐらいのトレーナーばかりだった
少しでも可愛い服が欲しいと言ったら「そんな服着たら男にいやらしい目で見られる」「いいけど、自分の体型をよう考えてみいよ?入ると思う?」
化粧をしたら「お水の人みたい」
それなのに「女として」家事、食べ方、口の聞き方、マナー、我慢。そんなことばかり強要された
ママとばあちゃんは私に「女の子になるな」と言いながら、家事だけは女としてやらなあかんって。
私はうっすら気づいていた。ママとばあちゃんは私が「女になること」を疎ましく思っていた。女になる私が許せなかった。
周りの友達は、清潔感があって可愛い服を着ているのに自分だけがトレーナーしか持っていないのが恥ずかしかった。
私は、女の子扱いされたことがなかった。家族の中でも学校でも。
されるのは、「女性らしさ」を押し付けられる場面だけ。家事、男を立てるところ。
自然と私は、「自分は女の子ではない」そう思っていた。甘えたり、大切にされたり、外見も可愛くない、きれいじゃない。
女の子じゃない何か。それが私の性別だった。
大人になって、私が着られる服なんていくらでもあることを知った。普通に女性のMサイズを着られるなんて知らなかった。
お化粧をしたらすごく可愛くなった。
でも、スカートだけはどうしても履けなかった。
ママやばあちゃんが植え付けた「足が太い」「お前は女性らしくないから、スカートなんて到底履けんな」そんな言葉が私にとっては事実も同然だったからだ。
カウンセラーの先生に「私、女の子になりたい。私女の子じゃない」と言いながら泣いたことがある。
しっかり抱きしめられながら「らぶは、女の子やで。ちゃーんとした女子や」そう言われたときに、今までの想いが噴出してきた。
他人に、女の子って言われることが嬉しかった。
そんな私にカウンセラーの先生は「スカート?いくらでも着てみ」と言われて、スカートを試着しに行った。
そこには、すごく可愛くてセクシーな女の子が鏡に映っていた。
「私、女の子になれた」って本当に嬉しくなった。
ママはそういえば、化粧をしなかった。いつも写真にはブサイクな顔でわざと映っていた。服もほとんどが男性用のLのトレーナーだった。だけど、忘年会やコンサートのときは、自分の一張羅を何時間もかけて服屋に探しに行っていた。
ママには、自分は美しくないという意識と、自分をもっと見てほしい。それが混在していた。
そんな自己肯定感が低いながらに抱えた「自分をもっと見てほしい」は酷く深い闇だったことだろう。抜け駆けして女性になる私のことが憎たらしかった。