コロナ神学
コロナショックにより無神論に転じたという人は、さすがに少ないかもしれない。
よほど信心深くなければ、そこまで思いつめないだろう。
しかしながら、コロナの流行と神の善性との関係を整理する必要は生じる。
神の善性について考えることを「神義論」と呼ぶ。
大災害が起きたときなどに浮上するテーマだ。
カトリック風の解釈では、災害や疫病は神からの試練と捉えられよう。
一方、プロテスタント風の解釈だと、神は今の人類には直接関与していないから、災害や疫病の責任は神には無いということになる。
どちらの場合も、神の善性は保証されるわけだ。
ところで昨今の世界情勢は、メシア待望論ならぬワクチン待望論に突き動かされているようだ。
だが、偽メシアの出現に気をつけねばならないように、ワクチンに対しても見極めが肝心である。
コロナの行く末に関しては、不可知論に徹するべきだと思う。
安易な預言を信じないようにしよう。