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【読書紹介】オリバー・バークマン著『限りある時間の使い方』

昔、『〜勉強法』の沼にハマり、そのくせ勉強せずに「この勉強法を知ってるから大丈夫だ」と楽観的に考えてしまい、結果的に失敗しまくったアホな過去があります。もし昔の自分に会えるなら、後頭部をぶん殴って「1秒でも早く勉強しろバカ!」と怒鳴りたい。マジで1日3秒レベルでもいいから、学生さんは続けた方がいいです。人間、頭も体も一朝一夕でそんな急激に変わらないのでね。

そういう沼から抜けたあとも、一応チラホラと自己啓発系の本を読んだりしましたが。どうも、自分に合わないというか。結局、自分で考えて解決していくしかないんだろうなぁ……と思い、いつ頃からか読むのをやめました。いわゆる"科学的"であっても、自分に合う保証なんて試してみない限り分かりませんし。

でも、前に友達と旅行に出かけたんですが、その時の電車内で見かけて気になったのが、今回紹介する『限りある時間の使い方』。

広告内であった"なぜデジタルデトックスが続かないのか?"という部分に、ギクッとしまして。「俺は何回もスマホ禁に成功してるんだ」状態だった自分のことを言われてるような感覚になりました。ある程度予想を立てて、書籍を一度立ち読みしたところ、大体考えたことが当たってたのでスルーしようとしたんですけども、結局のところ後ろ髪を引かれたので購入。
先述したように、あまり触れないようにしていた分野の本でしたが、読み終わってみれば、少し心地よい気分になれました。

・本書について

時間管理術や生産性を上げる方法がたくさん上げられる世間で、本書は「如何にそれらが間違いであり、我々が勘違いをしているか」を語ります。集中する方法や生産性向上のため、いわゆる”ポモドーロ・テクニック”や、優先順位の立て方など、いろんなライフハックが開発され続けている昨今。これらにより、より多くの仕事をこなし、長時間労働とおさらばして、自分の人生をより充実させて生きる……という理想を持ってしまうものの、現実はそうじゃない。むしろ、より忙しくなり、より憔悴するようになり、より空虚感を抱くようになっていく。
これらは生産性の罠であり、我々は自己の有限性に気づけず、忙しさに依存してしまっている、と著者は語っています。以前、某まとめサイトに掲載されていたツイートで、「昔よりパソコンの起動が早くなったのに、昔より仕事がとても忙しくなった」という旨のものがありました。昔のパソコンが動き出すまでの約数分の間、トイレに行ったり飲み物を用意したりと、ある意味でゆとりだったわけです。しかし、現在では30秒もかからずに起動するため、そうしたスキマ時間さえも減り、もっと仕事に励まなくてはならなくなった。無駄な時間は省いているはずが、むしろ疲れるようになってしまったという矛盾。そこが、著者の言う生産性の罠、なのでしょう。

タイムマネジメントやライフハックの技術は、大事な真実を見落としている。
「時間を思い通りにコントロールしようとすればするほど、時間のコントロールが利かなくなる」という真実だ。手に負えない幼児と同じで、抑えつけてもだめなのだ。

9ページより

もし平均寿命まで生きるとして、我々には約4000週間しかありません。自分はむしろ、「えっ、そんなにあんの?」と思いましたが。もし世界で一番長生きした方の122歳でも、6400週間ほどです。無限大にも思える自分の人生には必ず限りがあり、すべての可能性を追いかける余裕はないわけです。しかし、いろんな選択肢を残そうと考え、とにかく必死に働き、でも焦りは消えず、気づけば本当にしたいことをやる時間がなくなっていた……という状況に陥る人は少なくない。
そこで本書は、「自分の限界を見つめ、現実をよく見極め、ちっぽけな自分を受け入れる。様々な選択肢を減らし、自分が決めたことを(たとえそれが生産的でも非生産的でも)しっかり忍耐を持って進める」ことを勧めています。誰しもが大谷翔平選手のようになれたら最高でしょうが、自分は残念ながらあんなに背がありません。そもそも野球も下手ですし。藤井聡太七冠のようにもなれません。あんなに賢くないので。でも、そうした限界を受け入れ、なれるかもしれないという幻想を捨て、自分がしたい・すべきと考えたことを注力していけば、偉業を成し遂げられなくても満足感は得られるかもしれません。世間で流行っている「~でよりすごい自分になる!」というものとは真逆の方向で、時間の使い方を考えさせてくれる内容です。”科学的”ではないのですが、様々な哲学者や著者の言葉を借りながら、より自分の人生を生き抜くための時間との向き合い方が記されています。

・個人的に好きなポイント

第1章 なぜ、いつも時間に追われるのか

限界を受け入れるというのは、つまり「何もかもはできない」と認めることだ。
自分がやりたいことも、他人に頼まれたことも、すべてをやっている時間はない。絶対にない。
(中略)
もうひとつ大事なのが、「選択肢を確保する」という誘惑に負けないことだ。選択肢を増やすというのは、要するに困難な決断から逃げることにほかならない。「そのせいでチャンスを逃してしまったら?」と、ためらう気持ちもあるだろう。でも考えてみれば、何らかのチャンスを逃すことはーいや、ほとんどすべてのチャンスを逃すことはー当たり前の現実だ。そうでなければ、そもそも決断に価値はない。
何かに時間を使うと決めたとき、僕たちはその他のあらゆる可能性を犠牲にしている。その時間にできたはずのことは山ほどあるけれど、それでも僕たちは、断固として、やるべきことを選ぶのだ。

43~44ページより

まぁ、そうだよな、と。たとえば藤原竜也さんは、高校の帰りに稽古場に遊びに行き、故・蜷川幸雄さんと唐十郎さんの雑談に衝撃を受け、「自分が学ぶべき場所はここだ」と思い、わずか4日で高校を中退されています。本人は後悔しているものの、学びながら演技もする、という可能性を捨てて演技一本にしたからこそ、あれだけの俳優になれたのではないかと思うんですよね。全員が全員そうとは言えませんが、やはり”突き詰められる人”は、何かを犠牲に一つのことに時間をかけています。ああできたかもな……と後悔しても、仕方ない。むしろ、どう選んだって後悔すると考えた方が、あきらめがつくというもの。そう思えた方が、楽になります。

第4章 可能性を狭めると、自由になれる

さらにグッディンに言わせれば、妥協する生き方と、最大限に努力する生き方とを対比させるのは、そもそもまちがっている。最大限に努力するためには、どこかで手を打つ必要があるからだ。
「高みをめざして努力するためには、努力の対象となる何かに、比較的永続的な方法で腰を据えなければならない」と彼は言う。つまり超一流の弁護士や芸術家になるためには、まず他の可能性をすべて諦めて、法律や芸術を学ぶことに打ち込まなくてはならない。やりたいことを全部追い求めていたら、どれも中途半端に終わってしまう。だから、ほかにもっといいキャリアがあるかもしれないという誘惑を振りきって、法律や芸術に妥協するのだ。

105ページより

先述した大谷翔平選手は非常にストイックで、10時間以上の睡眠をとっていることは有名な話。また、藤井聡太七冠は、小学生の頃から余暇時間を将棋に注力しており、「できれば、宿題も学校で終わらせたいし、遊びも学校でやりたい。家では将棋に没頭したいから」と先生に語っていたそうです。

もともと才能があっても、そのうえでストイックに一つのことを追求する。だからこそ、あれだけの偉業が達成できる。高校を中退すると決定された時、自分は「もったいないなぁ」と思ってしまったのですが、英断だったわけです。
自分のような凡人は、だいたい選択肢を残そうとしがちです。でも、天才と呼ばれる人たちは、真逆のことをしています。天才だからできること、かもしれません。しかし、本当は我々でも実践できることかもしれないのです。

思いきってひとつを選び、無限に広がっていた可能性を封印する。これは前章で述べた「捨てる喜び」にも通じるやり方だ。多数の選択肢を捨てるからこそ、選びとったものに価値が生まれる。

108ページ

第6章 本当の敵は自分の内側にいる

退屈がつらいのは、単に目の前のことに興味がないからではない。退屈とは「ものごとがコントロールできない」という不快な真実に直面したときの強烈な忌避反応だ。
(中略)
あなたがパートナーとの会話に集中できないのは、食卓の下でこっそりスマホをいじっているせいではない。本当は順番が逆だ。会話に集中したくないから、こっそりスマホをいじっているのだ。話を聞くには努力と忍耐と献身が必要だし、話の内容によっては嫌な気持ちになるかもしれない。それよりも、スマホを見ているほうが断然ラクだ。
(中略)
難しいタスクを落ち着いてやり遂げるには、完璧に没頭できる状態を夢見るよりも、嫌な気持ちをそのまま認めたほうがいい。苦痛や退屈を否定せず、今起こっていることをそのまま見つめたほうがいい。

129~132ページ

たぶん自分の欲求と向き合わないから、デジタルデトックスが成功しないのだ、みたいなこと書いてるんだろうなぁ~、と思いながら本書を読んでみたら、大体そんな感じでした。でも、確かにその通りだよな、とも。
これまで何度かスマホ禁にトライしていて、確かに昔ツイ廃だった頃に比べれば、少しはマシになりました。外でずっとスマホを使うことがなくなったし、やろうと思えればスマホをカバンの中にしまうことができるようになりました。しかし、どうも完璧ではない。まだまだスマホをずっと触ってしまうし、そのせいでお風呂に入ったりゲームしたりする時間が遅れます。
退屈だったり、疲れてコントロールできなくなっているのもあるでしょうけど、「疲れてボロボロな自分」から逃げているというのも、あるのかもしれません。さっさとご飯食べて風呂入って、ちょっとしたいことをしたら、さっさと寝てしまうのが良いはずです。しかし、現状が認められないから、ついついスマホに手が伸びる。
後述しますが、3つに絞った”やりたいことリスト”、”失敗してもいいことリスト”により、YouTube依存が軽減されました。1週間だけ、視聴時間がほぼ0分になり、その週以外でも最長で3時間以内に収まりました。ながら視聴で8時間近く利用していた前の自分からすれば、進歩と言えるでしょう。誘惑に流される自分に負けず、早々としたいこと・すべきことをする。マルチタスクでやるのではなく、シングルタスクでやる。これは結構、ながら作業をやりがちな自分に刺さりましたね。今では、「知りたい情報やどうしても見たいと思ったものだけ」使うようにしています。

前のつぶやきにも貼ったヤツ。映画の告知の視聴以外は全く使わなかった。

第8章 人生には「今」しか存在しない

時間を所有してコントロールしようという態度は、もうひとつ別の弊害を生み出す。
「時間をうまく使おう」という強迫観念だ。
時間をうまく使おうとすればするほど、今日や明日という日は、理想的な未来にたどり着くための単なる通過点になってしまう(そんな未来は実際には永遠にやってこないのだけれど)。
(中略)
2015年にカーネギーメロン大学の研究者がおこなったおもしろい研究がある。研究者らは結婚しているカップルを集め、2ヶ月のあいだ通常の2倍の頻度でセックスをしてもらった。そうして2か月後にカップルの幸福度を調べたところ、開始時よりもまったく幸せになっていないことがわかった。この結果は「活発な性生活は思ったほど楽しくない」ことを示すものとして広くシェアされたが、僕が思うに、「活発な性生活を送ろうと頑張りすぎると、全然楽しくない」と解釈するほうが的確かもしれない。
(中略)
「人生から何かを得ようなどと思うな」と作家のジェイ・ジェニファー・マシューズは言う。「何かを取りだして持ち帰れるような外部など、存在しないのだから。自分は今この瞬間に絡めとられていて、その外側には何もない」
今を生きるとは、今ここから逃げられないという事実を、ただ静かに受け入れることなのかもしれない。

148,163~165ページより

第7章から、計画は絶対的な物ではなく、未来は不確定で不安なものと述べ、さらにこの第8章では”時間をうまく使おう”、”今を全力で楽しむ”という観念が「時間の道具化」を招き、より不安感を増長させることを述べています。
数年に1回くらいの頻度で、美術館で絵を観に行くことがあるのですが。実は、最初の方は「絵画に触れることで何か得るものがあるかもしれない」という考えで行ってました。今は誘われたり、単純に行きたいと思ったから行くようにしていますが。
でも、そもそも何かにつながるという考え自体、浅慮なのかもしれません。そういった行為が活きるような世界に飛び込む可能性はゼロではありませんけど、現時点ではまったく関係ない。投資という考え方は大事です。無計画に生きることを本書が推奨しているわけでもない。ただ、投資と称して行われる物事が、むしろ本来の楽しみを阻害していたり、自分の気持ちに嘘をつくことになるのではないか。つまんねえな、と思いながら美術館に行くことに、どこまで価値があるのか?
今の自分がしていることを、ただ受け入れる。まるで修行僧のような考え方ですが、大事なことなのかもしれません。

第12章 時間をシェアすると豊かになれる

2013年、スウェーデンのウプサラ大学のテリー・ハーティグ教授らが、休暇のパターンと幸福度の相関を調べる調査をおこなった。スウェーデン人の休暇データと抗うつ剤の処方量のデータを比較したところ、一般に仕事を休むと幸せになる(抗うつ剤の平均的な処方量が減る)ことがわかった。それ自体はとくに目新しい発見ではない。
注目すべきはもうひとつの発見だ。抗うつ剤の減少幅は、ある時点でどれだけ多くのスウェーデン人が休暇をとっていたか、つまり同時に休暇をとる人の数に比例することがわかった。みんなが同じタイミングで休暇をとったほうが、みんな幸せになるということだ。
(中略)
時間は自分のものになりすぎないくらいが、実はちょうどいいかもしれないのだ。

221,233ページより

2020年のコロナ禍による自粛まっただ中の頃、めちゃくちゃ無職でした。家が困窮してるにも関わらず。そして、本当に親には申し訳ないことを思ったのですが、その時は無職であることの苦しさが、楽になったのです。何せ、求人の数は目に見えて減ったし、仕事を派遣切りなどで無くしてしまった人が出てきたし、世間全体が暗かったから。「自分だけじゃなく、他の人も」という実際の世の中が、今の自分を責める必要がないと言ってくれているようで、助かったのです。
あと、先述しましたが、友達と旅行に行きました。関西からほとんど出てない人間が、東京まで行ったのです。行き方のルートを調べ、ある程度迷うことも考慮した上でのプランを策定しましたが、いざ蓋を開けたら、迷うわ遅れるわ行きたいところに行けなかったわ……と、ちょっと残念なこと続きでした。しかし、楽しかった。本当に楽しかった。もう一度、このメンバーで行けたらいいなと思えたほど。たしかに、自分が行きたいところには、あまり行けなかった。でも、一緒に行ったからこそ、見れなかったであろう景色が見れた。これは、一人じゃできなかった。

夜の渋谷。田舎者には刺激的でした。

そういう体験をしたからこそ、第12章の内容は、腑に落ちるんですよね。個人主義的な自由を妨げるのは、人権的にはいけないこと。でも、個人がすべて時間を管理するようになると、それ自体が重荷になったり、”予想外の楽しい出来事”に出会いにくくなる。自分も以前は「社会不適合者だから、宝くじ当てて働かなくてもいい状態になって、社会の隅に引きこもりたい」と思っていました。おそらくですが、似たような考え方の人はいると思います。でも、他者が居てこその自分でもあります。無理をしなくてもいい。ただ、ほんの少し挨拶するだけでもいいのです。人と関わることの楽しさを、知っていきたいものですね。

第13章 ちっぽけな自分を受け入れる

(中略)
それを「宇宙的無意味療法」と呼ぼう。やるべきことが大きすぎて圧倒されるとき、少しだけズームアウトしてみれば、すべてはちっぽけな問題に見えてくる。ほとんど無だ。日々の不安や悩み事ー人間関係、出世競争、お金の心配ーなど、宇宙から見ればまったくどうでもいいことなのだ。
(中略)
4000週間というすばらしい贈り物を堪能することは、偉業を成しとげることを意味しない。
むしろ、その逆だ。
並外れたことをやろうという抽象的で過度な期待は、きっぱりと捨てよう。そんなものにとらわれず、自分に与えられた時間をそのまま味わったほうがいい。

242,245~246ページより

現代では、インフルエンサーというかなり身近に感じられる成功者がいて、ニュースでは偉業が報じられ、どうしてもそこにあこがれを抱かずにはいられない状況になっています。あの人はああなのに、なぜ自分は……といった風に。
ただ、どんな成功者がいても、長い目で見れば、「ああそんな人いたね」くらいのもの。我々が歴史の授業で習う偉人だって、それこそ大谷翔平選手がどれだけホームランの数を増やしたところで、宇宙という広大な空間から俯瞰すれば、ほとんど無と同じです。
今このnoteを書いてる現実だって、いろんな偶然によってつながった、貴重なもの。まったく読まれないものだったとしても、それはそれとして。バズらずとも、書きたいのだから書く。それでいいじゃないか、と。
現実を大事にして、成功者へのあこがれも悪くないけど、今を味わう。それでも十分ではないでしょうか。

第14章 暗闇のなかで一歩を踏みだす

1933年12月15日、カール・グスタフ・ユングは文通相手のV婦人に宛てて、「正しい生き方とは何か」という問いに答える返事を書いた。その答えは、本書の最後を飾るにふさわしいものだと思う。
「どう生きるべきかという質問には、答えがありません」とユングは切りだした。「人はただ、自分にできるように生きるだけです。唯一の正しい生き方などありません。お望みならカトリック教会に入るといいでしょう、彼らは正解を教えるのが好きですから」
ユングにいわせれば、個人の人生とは「みずから切り拓いていく道であり、誰も通ったことのない道」である。
「前もって知ることはできません。あなたが一歩を踏みだしたとき、そこに道ができるのです。‥‥‥ただ静かに、目の前のやるべきことをやりなさい。やるべきことがわからないのなら、きっと余計なことを考えすぎるほどお金がありあまっているせいでしょう。しかし次にすべきこと、もっとも必要なことを確信を持って実行すれば、それはいつでも意味のあることであり、運命に意図された行動なのです」
(中略)
どれだけ多くの人を助けたか、どれだけの偉業を成しとげたか、そんなことは問題ではない。時間をうまく使ったといえる唯一の基準は、自分に与えられた時間をしっかりと生き、限られた時間と能力のなかで、やれることをやったかどうかだ。
どんな壮大なプロジェクトだろうと、ちっぽけな趣味だろうと、関係ない。
大事なのは、あなただけの次の一歩を踏みだすことだ。

263~265ページより

占いをまぁまぁの頻度で見る自分にとって、将来が不明瞭なことの恐ろしさや、この先が幸運なのか不運なのか?ということは、かなり気になるところです。ですが、冷静に考えたら、運気を見る占い師だって、完全的中させられる人なんていません。気象予報士だって、天気を完全に当てることは困難です。
だから、そもそも未来なんて不明瞭なのが当たり前で、そこに何か確実なものを見出そうという意識が、無意味であると言えます。
人生は、どう頑張っても手探り。どうやっても長く働かないといけなかったり、つらいことが起こったり、物事が上手く噛み合わないことが出てくるでしょう。それでいいのではないでしょうか。どんな成功者でも、どんな社会不適合者であろうと、まったく同じ人生は一つとしてありません。故に、渡るべき道というのもありません。自分で、手探りで生きていくしかないんです。

まとめとして

本書の付録に、”有限性を受け入れるための10のツール”というものがあり、
・「開放」と「固定」のリストを作る
・失敗すべきことを決める
・何もしない練習をする
を、少しアレンジしながら、やってみました。
・1週間に限定する
・”やりたいことリスト”と”失敗していいことリスト”に、それぞれ3つほどタスクを決めて入れる
・何もやる気がしない時は、何もしない練習をやってみる。

実際に2週間ほどやってみましたが、まだまだスマホの欲求を手放すのは難しいですね。特に今月頭に機種変したのもあって、触ってて楽しいから、というのもあります。ただ、それまで神経質にやっていた”机の上の片づけ”ができなくなっても自分を許せるようになったし、部屋が汚くなっても気が向いた時だけ掃除するようになったし、なかなか気が進まなかった『ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダム』を楽しめるようになりました。やっと地底を漁りつくして、ゾナウバッテリーを2周できました。これでエアロバイクを乗り回せます。やったぜ。
あと、何もしない練習ですが……これが難しい。要は瞑想なのですが、どうしても考えごとが脳裏をよぎる自分にとって、何も考えないのがこんなに難しいのか!と衝撃的でした。まぁ、本当に気が向いた時だけ、やるようにしています。

本書は、スマートさを求めがちで忙しさに依存している現代において、まったく異なる主張をしています。
たしかに、スマートに成功して、お金を持っているアピールをしている人をうらやむ気持ちは、自分にもあります。また、膨大な仕事量をこなす人も、やはりすごいと思います。
しかし、全員が全員そうではないし、成功者とて実は意外と無理をしているのはよくある話です。人気YouTubeチャンネルのフィッシャーズが、過密スケジュールでほとんど眠れていないために、一時的に活動を休止すると発表したことは、記憶に新しいでしょう。

自分も、貧乏脱出という夢はあります。しかし、このまま普通に独身非モテ貧乏のまま孤独死というルートも、ふつうにあり得るでしょう。まぁ、どちらにしたって、もし平均寿命まで生きると仮定しても、およそ2450週ほどあるのです。まだまだ道半ば。自分なりに、この現実を生きていきたいと思います。

自分の限界を知り、選択肢を捨て、現実を見ろというネガティブにも取れるメッセージは、むしろ心地良いものでした。おかげで、有名にならないといけない、人より優れていなければいけないという、自分の中にある恐れが、少しは消えましたから。
ライフハックなどではないし、”科学的”でもないですが、それはそれとして面白いものでした。もしこのnoteで気になった方は、Amazonで無料サンプルがあるので、それをご一読ください。

気づけば、過去最長のnoteになりました。ああ、もうこんな時間だ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

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