悩んだ末に選んだ答えは絶対後悔するから『この素晴らしい世界に祝福を!』
やあ、僕だよ。
ネット上では比較的真面目に(?)活動している僕だけれど、ある一定期間、ユーモアを摂取しないとユーモア欠乏症になるんだよね。
しかも悪いことに、ユーモア欠乏症になった時は、普段より「上質なユーモア」が必要になってしまう。
こうなると、そこらに転がっているユーモアではなかなか元に戻ることが出来なくなる。
それで『水曜どうでしょう』を観てケラケラ笑ったりしていたんだけれど、もう一押し、「上質なユーモア」が欲しかったんだよね。
今回は(ついに!満を持して!)異世界転生ものを取り扱うよ。
僕だってね、こういう話だったら異世界転生ものを観るのもやぶさかではないんだ。
引用した「アクシズ教」の教義だけでも価値があると思うから、ぜひ落ち込んでる人に読んでってほしいな。
じゃ、始めようか。
本作あらすじと感想
「このすば」である。
1話を観た時、ギャグアニメで久しぶりに震えたのを覚えている。テンポとテンションがこうも噛み合っているユーモアは、アニメだと『ギャグマンガ日和』以来だ。
『ギャグマンガ日和』も声優の奮闘が目覚ましかったが、やはり特筆すべきは「カズマ」役の福島潤氏だと僕は思う。
やはり「はい、カズマです」はアドリブだったらしい。
それ以外にも枠外でのアドリブらしきセリフが秀逸で、テンポの良さをより高めている。
物語としては、主人公「カズマ」が転生の際に死因(トラックに轢かれたと思い込んだことによるショック死。なお、トラックはトラクターだった)を笑われたことに腹を立て、女神「アクア」を転生先に持ち込める「特典」として指名したことから始まる。
が、この「アクア」、いまひとつチート能力が活かせない「駄女神」なのだ。
彼らは肉体労働プラス馬小屋暮らしをしながら、やっぱり「使えない」仲間を一人一人集め、魔王を倒す旅に出る(らしい、そんな素振りは全然ないけど!)。
特に僕が大好きなのは2期の「アルカンレティア」エピソード。
「アクア」は「カズマ」の転生先の世界で「アクシズ教」のご神体として祀られているのだけれど、ここでその「アクシズ教」の教えがちらっと垣間見えるのだ。
「アクア」曰く、「アクシズ教は全てが許される教えです。それはたとえロリコンでも、ニートでも、人外獣耳少女愛好者でも、アンデッドや悪魔っ娘以外であれば、そこに愛があり犯罪でない限り、全てが許されるのです」とのこと。
YESロリータNOタッチ。素晴らしい。
そんな「アクシズ教」の教義は他にも信者たちのセリフ内で散見される。
以下に記しておこう。めっちゃ元気になれるから。
「アクシズ教徒はやればできる。できる子たちなのだから、うまく行かなくてもそれはあなたのせいじゃない。うまくいかないのは世間が悪い」
「嫌なことからは逃げればいい。逃げるのは負けじゃない。逃げるが勝ちという言葉があるのだから」
「迷った末に出した答えはどちらを選んでも後悔するもの。どうせ後悔するのなら、今が楽チンな方を選びなさい」
「汝、老後を恐れるなかれ。未来のあなたが笑っているか、それは神ですらも分からない。なら、今だけでも笑いなさい」
「悪魔殺すべし、魔王しばくべし」
「エリスの胸はパット入り!!」
…現場からは以上です。
迷った末に出した答えはどちらを選んでも後悔するもの
「どうせ後悔するのなら、今が楽チンな方を選びなさい!」と信者の女性(食べられる石けんを勧めてきた人だったかな)が叫んでいる。
刺さった。刺さりまくった。
なんならこのくだらないシーンで目頭が熱くなってしまった。
「若い頃この言葉を知っていたなら」と思いもしたが、学生や社会人なりたての僕にこのありがたい教えを授けたところで、何にもなりゃしない。
迷った末、と言えるほど考えもしなかった、浅はかな僕だったのである(今でも完全に改善されたわけではない)。
迷った末に出した答えはどちらを選んでも人生で得られる結果は変わらない
結局、そういう風に出来ているのだと思うことがある。
例えば、僕は何かの専門職に憧れていて、でも専門職らしからぬ営業職の方が向いていると周りから言われていて、実際自分でもその自覚は充分あって、どうするかなって漠然と思いながら、僕は営業職を選んだ。
あのまま、専門職を目指していたとして人生の満足度は変わっただろうか。
たぶん変わらない。何故なら、出来事を見つめるのが僕である限り、満足度を決めるのも僕だからだ。
きちんと悩み抜いて楽チンな方を「選ぶ」
何はともあれ、「悩む」と「選ぶ」を蔑ろにしないことが肝要だと僕は思う。
いわゆる「過程が大事」っていうのは、これに当たるのだよね。
意味のない努力はないのだけれど、効果的でない努力はある。
では何故効果的でない努力をしてしまうのかというと、それは「悩む」と「選ぶ」を誰かに任せたり、足りなかったりするからだ。
その努力に至るまでのロジックが詰められていないので、努力がハリボテになる。
繰り返すが、意味のない努力はない。
その努力を無意味にしてしまうのは、つまるところ、「過程」を軽視した自分自身なのである。
意識低い系エリート
真面目系クズはダメなやつの代名詞だけれど、「意識低い系エリート」には親近感と有能感が漂ってる気がしなくもない。
なんかこう、ライフワークバランスを重視しつつ、いい生活してそうじゃないか。
語感がいいのですでに考えられているはずと思ったら、検索しても出てこなかった。おかしい。
そんなにユニークな発想とも思えないのだが、せっかくだから「意識低い系エリート」を定義する。
「意識低い系エリート」とは、ドトールでiPadproを使って単価の高い仕事をしつつ、格安スマホか型落ちiPhoneでYouTube動画を観てる人、あるいは、朝ごはんにまるごとソーセージとスタバのコーヒーを取り合せる人である。
つまり、偏見を厭わず好きなものを取り入れ、自らの快適さを最優先する有能を「意識低い系エリート」と呼びたいのだ。
この「意識低い系エリート」の特徴は人からどう見られるかを全く考慮しないところにある。
美味しいから、まるごとソーセージを食べる。彼らにとってそれ以上でも以下でもない。
意識高い系エセエリート
僕がその昔、エセエリートから脱落したのは周りの人間の意識の高さに呑まれてしまって、そんな自分に違和感を抱えていたのも一因だ(いっそ青すぎて可愛く思えてきた)。
しかも別に有能でもない。まさに意識高い系だった。
しかも呑まれているのに、心の中では周りを見下していたのだから救えない。可愛いな、僕。
まあ、僕は元々、夫と出会う前まで好きなものを見極めるのが苦手だったから、好きでないものに囲まれる悲惨さがいまいちよく分かっていなかった。
僕はまるごとソーセージが好きだったのに、なんか高いクロワッサンとか食べてたのだ。
面倒がらず、よく悩み、よく選ぶ
とはいえ、高いクロワッサンも好きな僕である。
大事なのは高いクロワッサンだけにならないこと。選択肢としてまるごとソーセージを忘れないことだ。
これはまさに、幸せになる効果的な努力なのではと僕は思っている。
僕は幸せになりたい。
今も幸せだけれど、もっともっと幸せになりたいし、なれるポテンシャルがあると判断した。
そのために虎視眈々と悩み、当意即妙に楽チンな方を選んでいく。例え、思わしくなく見えても、得られる結果は変わらない。
迷った末に出した答えはどちらを選んでも、どうせ後悔するのだから!
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